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「円滑化」? 「緩和」?
混乱の元凶となってしまった建築基準法の改正。その建築基準法について、一部「緩和」が行われるとか。

10月初旬の段階の大臣のコメントには、「円滑化」という言葉が用いられ、「緩和」には、難色が示されていました。

しかし、ここで、「緩和」が打ち出されました。

円滑に進められない理由として、関係者への周知が足らず、とりわけ自治体の対応が遅れていたことをあげ、措置を講ずるという方針が国土交通省では立てられていたようです。しかし、国土交通省が法律施行の準備を怠ったったために、現場が対応できるはずがないというのが実態だと私は思うのですが……。

遅れた準備という実態は脇におき、申請後の変更のような部分の一部「緩和」が対策として打ち出されました。

ここで、「緩和」という言葉を用いているところが曲者です。

昨今、「緩和」にはネガティブなイメージがあります。不正の温床になったといイメージが刷り込まれています。また、「緩和」によって責任は「民」にうつり、「官」は「我関せず」でいられるというイメージが伴います。

ー「厳格」すぎるという声があるから「緩和」したが、「緩和」した以上、「官」には責任はない ー

厳格すぎるから混乱しているのではなく、準備不足で混乱しているのではないでしょうか?また、そもそも、建築基準法を遵守する上での責任関係も、改正によって明確にはなってはおらず、曖昧なままに放置されています。

そうした問題点がうやむやになってしまうような巧みな言葉が選ばれていると感じました。

時をあわせるかのように、建材メーカーの耐火性能が不正に取得されていることが明らかにされています。建築基準法の改正によって煩雑になった手続きの一部は、とても脆弱な前提の上に成り立っていた無駄なものであったことになります。

とりあえず、これで規模の小さい建物については、状況が改善されるかもしれません。ただ、大規模な建築については、肝心の準備が整うまでは影響を受けたままということになるのではないかと思います。

ところで、規模の小さい住宅でも、着工できずに土地を更地のままにしておくことは、借り入れに対する金利負担などを考えると損害になります。着工が遅れることによって生じる損害に対しては、一戸建ての業者などにとっては、少なからぬ「緩和」にはなるのではないかと思います。しかし、大規模な建物を前提とした業者や関係者にとっては、なかなか厳しい状況が続くのではないかと思います。
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by gskay | 2007-10-31 12:30 | 揺れる システム
証人喚問
小嶋社長以来の証人喚問だそうで。耐震偽装に巻き込まれるまで、参考人招致や証人喚問というものがどういうものか、正直なところ、考えたことがありませんでした。

国会は、裁判官への弾劾裁判はあるにしても、そもそも、検察でも裁判所でもありません。

参考人招致も含め、証人喚問については、国の権限や意思決定のシステムの不備を明らかにするのが目的なのだろうと思います。不正が生じる余地や、適切な決定を妨げる要素を洗い出すために行われるのだろうと思います。

耐震偽装の小嶋社長の証人喚問については、元国土庁長官の伊藤議員とともに国土交通省に対する不当なはたきかけや介入をしたかどうかや、安倍前首相の周辺との関係が耐震偽装の対応をねじ曲げることになったかが明らかになれば良かったのかもしれません。

しかし、実際のところ、政治家と支援者という関係以上のものはなかったようで、しかも、それによって耐震偽装の対応が不適切になったと思われる部分は見つけられなかったというのが実態で、「空振り」だったと思います。

私は、個人的には、こういう時に、さっと対処するために立ち上がってくれる政治家でなければ、政治家の存在意義などないと思っています。行政の判断や対応が鈍すぎて、事態を悪化させたと思っています。こうした状況は、政治家が活躍すべきタイミングです。もちろん、そこに、不当な利益が絡んでいるというなら、それは許されないことです。(とはいうものの、耐震偽装では、行政のみならず、伊藤議員も活躍できたとはいえず、マイナスポイントを背負うことになってしまったようですが……)

そもそも、耐震偽装の部分と、後始末の部分に混同があって、とんちんかんな喚問になっていました。建築や不動産取引のあり方の曖昧さも放置されたままになってしまいました。「刑事訴追のおそれ」というのは、困った発言ですが、司直が扱うべき問題と、国会が論ずる問題との関係が整理されているとはいえないようです。

今回の前防衛次官の証人喚問は、甘い汁をすする官僚へのお仕置きや見せしめの意味があるのかもしれません。そういうお仕置きや見せしめを恐れて、今後、このような官僚が登場しなくなるかもしれませんが、それでは、「のど元すぎれば……」というレベル。

官僚の裁量による意思決定システムが温床になっているはずで、それを明らかにしてシステムを抜本的に改善しなくてはならないと思います。そういう方向性は、イマイチ感じられませんが……。

また、情報の隠蔽。防衛上の問題は、秘密にすべきことが少なからずあると思います。それを、隠蔽と混同してはなりません。

隠蔽については、耐震偽装でもささやかれていることです。例えば公団。あるいは「0.5」をめぐる問題。

現在の中央官庁に共通する病弊で、文書主義が歪んでいることを懸念します。

オリジナルの情報を大切にしなくてはいけません。しかし、なぜか、その情報を解釈した結果ばかりが一人歩きし、本来の意味以上の意味を持ってしまたり、ねじ曲がってしまったりするようです。そこに不都合があったとき、オリジナルの情報を検証できないというのは、大問題です。その情報管理や、その責任を明確にしなくてはなりません。

紛失したり破棄したり破損させてしまった当事者や保管の担当者が、決して表に出ないのが不思議です。

ところで、耐震偽装では、国土交通省がシステムのレベルから国会で追及されることはありませんでした。不正がなかったからということなのでしょうか?まあ、許しがたい所行が表沙汰にはなっていませんから、関心が向かなかったのかもしれません。放ったらかしにした挙げ句が、建築基準法の改正とそれにともなう混乱ではないかと思うのですが……。

一方、防衛次官の問題は、所行が問題であることが注目を浴びるきっかけかもしれませんが、防衛を巡るシステムの問題へと発展させて考えなくてはいけません。

とりわけ、シビリアンコントロールというものを再検討しなくてはいけないと思います。「背広組」とやらは、シビリアンなのでしょうか?戦前の軍官僚から制服を脱がし、階級の束縛を取り払っただけではないかと思います。だとしたら、それはシビリアンコントロールとはいえないかもしれません。

また、秘密が不可避な組織であるだけに、官僚制度の問題点が、もっとも強烈に現れやすいところなのかもしれません。

国際貢献や米国との関係という対外的な問題とは別に、防衛をになうシステム自体が信頼にこたえていない状況にあるように思います。

疑惑というものは、そうした状況の象徴にすぎず、改善のためのきっかけにすぎないはずです。しかし、耐震偽装と同じように、あたかも従前の仕組みにとっての「みそぎ」になってしまって、大失敗につながってしまうことを恐れています。
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by gskay | 2007-10-30 01:07 | 政治と役所と業界
行革実現のための方向性
行革担当相というのは、政治家にとって最も厳しい役職のひとつではないかと思います。やる気まんまんで乗り込んでも、なかなか成果をあげるのは難しく、むしろ官僚の抵抗にあい、官僚にべったりのメディアには叩かれる。かといって、無難に過ごそうと思えば、無能と嘲笑されかねない。覚悟が必要な役職だと思います。

公務員制度改革「突破力」に求められる「低姿勢」 渡辺行革相、募るイライラ(産経新聞) - Yahoo!ニュース


10月13日8時1分配信 産経新聞

 安倍内閣で「切り込み隊長」として期待されてきた渡辺喜美行革担当相(55)が12日、福田康夫首相から国会答弁をめぐり野党への「低姿勢」を求められた。

 渡辺氏によると、福田首相は閣議後に呼び止め、笑顔で「民主党もよい提案をしている。そういう意見にも謙虚に耳を傾け、ていねいに対処するのが福田内閣の方針だ」と諭したという。

 問題になった国会論戦は、9日の衆院予算委員会。国家公務員の再就職をめぐる政府の取り組みを「押しつけ的天下り促進法だ」と非難する民主党の長妻昭政調会長代理に、渡辺氏は「予算や権限をつけて天下りするのを全面的にやめる。これがミソなんですよ!」と身ぶり手ぶりで反論した。その後も、ヤジを浴びせる野党側を大声で制するなど激しい答弁を続けた。

 渡辺氏は昨年12月末、「官僚と戦う」姿勢を見せたい安倍晋三首相(当時)から「突破力」を期待され、行革担当相に就任した。突破力を「腕力、気力、持続力ということ」と解説し、今年の通常国会では与党内の消極論をも押し切る形で「官民人材交流センター」設立などを盛り込んだ公務員制度改革関連法の成立に尽力した。

 9日の答弁も安倍内閣時代の延長線上にあり、「野党の挑発に『どんどんパンチを打ってこい』という感じで返したようだ」(政府関係者)が、福田首相は転向を求めた格好だ。町村信孝官房長官からも9日の同委終了後「謙虚に」とくぎを刺されている。

 一方で、改革への官僚の抵抗も激しく、独法改革では、所管府省が整理統合に事実上の「ゼロ回答」を繰り返し、公務員制度改革も政府の懇談会が結論を来年1月へと2カ月先送りした。

政府関係者によると、渡辺氏は公務員制度改革や独立行政法人(独法)の整理・統合にもブレーキがかけられつつあるのではないかとの不満を募らせているという。

 渡辺氏は12日の記者会見で「答弁ぶりが挑発しているように聞こえたのかもしれない。私の不徳の致すところだ」と、困惑した表情を浮かべながら語った。(岡田浩明)

少し古い記事になってしまいました。

「予算や権限をつけて天下りするのを全面的にやめる」という主張の方が、民主党の追及に比べて本質をついていると思います。(この主張を取り上げている記事を、私が知る限りではみかけることができなかったので、この記事を引用しました)ただ、予算や権限は、官僚の裁量の絶対性からくるものであり、天下りの問題点のような枝葉にこだわっていてはいけないと思います。

その点で、枝葉の部分で対決するのではなく、本質にしたたかに切り込むのが政治家にとっては正しい方針かもしれません。本来、それだけの権限が、国会にも内閣にも備わっているので、こじれさせるのは愚策ともいえます。

「官僚と戦う」という姿勢だった安倍首相を、私は評価しています。しかし、対決は、必須のものではありません。対決を避け、超越的に行政改革に取り組んでいる現政権は、前政権以上かもしれません。

まだまだ、今後、どのように展開するのかわかりません。ただ、官僚組織が自壊をおこしていることもあり、あまりにその崩壊がひどすぎると、改革どころではなくなってしまうかもしれないと危惧します。

ところで、歴代の行革担当相をみると、みな世襲の政治家です。まるで、門閥貴族と、試験で選ばれたエリート官僚の対決のようです。自民党という政党の性格を考えると世襲政治家が多いため仕方がないのかもしれませんが、不思議な気がします。

育った家庭環境が、政治に密着しているため、問題意識が高いのかもしれません。子供のころから、選挙という民主主義の手続きが身近にあるため、その意義をよくわかっているのではなないかと思います。そして、それは、無制限の官僚の裁量とは相容れないということも。

世襲政治家であることが、行革担当相を務めるための必須の条件と言うことはないと思いますが、そういう覚悟を持つ世襲政治家が多い可能性はあると思います。(ボンボンの過剰な自意識にすぎないのかもしれませんが……)

また、行革担当相として誠実に精力的に任務をまっとうしようと努力すると、官僚の抵抗やメディアからの執拗なバッシングにさらされます。行革担当相は、そうしたことに足をすくわれないような人物にしか務められない役目です。

無理な努力をして頑張って政治進出してきた政治家は、どうしても、足をすくわれかねないスキがあるのかもしれません。その点で、案外、世襲政治家は、クリーンなのかもしれません。あまりにクリーンであるために、足の引っぱりどころがなく、政治資金に関する問題を取り上げて騒ぐくらいしか方法がないのかもしれません。(おそらく、本人は、そんな細かいことまで知らないと思います。そんな細かいことに関わっていたら、政治の勉強をしているヒマがないでしょう。)

世襲政治家の存在自体を、私は悪いと思っていませんが、行革担当相のような役職を、世襲政治家にしか任せられない状況には疑問を感じます。このドロドロとした状況こそ、天下りについての論戦などよりホットな「官僚と戦う」という政治の最前線なのではないかと思います。これを切り抜けられない限り、より本質的な官僚の裁量の問題に取り組むことはできないというのが現実であるようです。
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by gskay | 2007-10-26 13:54 | 政治と役所と業界
黒川紀章がめざした日本
晩年の黒川紀章が、政治への挑戦を通してめざしたことの中身を、私は全く知りませんでした。選挙でも主張の中身とは関係ないことばかりが伝えられていたのではないかと思います。主張そのものが私の耳に入ることはありませんでした。

国会にも見参していた黒川紀章氏 - OhmyNews:オーマイニュース “市民みんなが記者だ”

   (略)

1999年9月27日衆議院の「国会等の移転に関する件について調査」の中では、参考人として、黒川氏は出席、

 「日本はこのままでいきますと、21世紀、非常に厳しい時代になります。思い切った構造変革をしないと沈没する、確実に沈没すると思います。その中でも、特に中央の官僚制度、官僚の意識改革、これが非常に重要だと私は思います」(国会会議録より)

と、21世紀に向けての、日本の対応を心配する声が残されていた。

   (以下略)

……。この記事を読んで、絶句しました。

耐震偽装を通して、私が体験から学んだことや、考えていることと同じではないか!

こんな主張だということを、私は全く知りませんでした。とても、恥ずかしく残念に思っています。

「共生新党」という政党も、どのようなものなのか全く知りませんでした。

先の参議院選挙では、イーホームズの藤田社長が応援していたことから、既存の政党とは別の政党として「9条ネット」には注目しました。とくに天木候補の官僚制度についての主張には納得するところがありました。しかし、「共生新党」には、全く関心が向いていませんでした。

不明を恥じます。物好きな夫婦の酔狂だと思い込んでいました。その思い込みから、冷ややかな目で見ていたような気がします。

「9条ネット」をふくめ、「共生新党」も、議席をもたない政治団体でした。メディアに出る機会が少なく、その主張をくみとることはとても難しいと改めて感じています。
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by gskay | 2007-10-25 01:29 | 政治と役所と業界
自治体への指導?
年金着服の問題でも、建築確認の問題でも、自治体にしわ寄せがいっています。

年金着服については、すでに運用が終わっている制度における不正が問題になりました。厚生労働大臣の強硬な姿勢には賛否両論があり、また、告発される事例についても、すでに弁償がすんでいて、懲戒されているものまで含まれていることに違和感を感じる人もいるようです。加えて、報じられる金額が小さい……。

この告発には、中央官庁の官僚の裁量による自治体への指導の位置付けを問う大きな意味があると思います。

これまで、中央官庁の官僚の裁量による指導は、絶対的な権威でした。すでになされた指導をくつがえし、ここで告発をするということは、その権威を否定するものです。

行政による処分で充分かどうかという問題や、司法によって最終的な処分が決まるという原則にかかわる問題も重要かもしれませんが、これとは別で、全く異なる意義があります。

これまでなら、中央官庁の官僚からの指導に従っていて問題になることはありませんでした。今回も、多くの自治体は社会保険庁の指導に従って、行政の枠組みで懲戒などの処分を行いました。刑事事件としての告発が見送られたのも、その社会保険庁の指導に従うものでした。その社会保険庁の「指導」を否定してみせたのが、厚生労働大臣による「告発」問題です。

刑事事件として処理されることの是非のかげに、このような重大な意義が隠れていたことを、私は明確には理解していなかったと思います。

年金に関しては、省庁横断による対応が始まり、厚生労働省・社会保険庁は、独占的な「縄張り」を失いました。加えて、どうやら地方自治体への中央官庁の官僚の裁量に基づく指導の絶対性も失われたようです。

首長からの抗議もあったようですが、その抗議や対応もふくめて、厚生労働省・社会保険庁の官僚の裁量を超越した対応がなされているように思います。

見事だと思います。

一方、建築確認の問題は、国家経済への悪影響への懸念が生じる程の深刻な問題です。すでに、国土交通省単独での対応は不可能と判断されているようで、関係省庁が対応を始めています。

いくら他省庁が動いても、技術的なことへのけじめをつけるのは国土交通省自身です。断じて、自治体ではありません。改正された建築基準法の施行に必要な措置をおこたってきたのですから。

それを、建築確認にあたる自治体の「理解不足」として片付けることは、自治体の理解をえられないのが当然だと思います。国土交通省への信頼はボロボロで、総務省のサポートが不可欠な状況になっているようです。

ところで、この建築確認の混乱のケースも、中央官庁の官僚の権威を否定しています。ただ、年金とはかなり異なっています。

年金の場合、中央官庁の官僚による指導の絶対性を大臣が否定しました。しかし、建築確認の場合は、今のところ、大臣は中央官庁の官僚の言い分を弁護しています。

これは、地方分権の進め方にもかかわるデリケートな問題をはらんでいます。

年金の問題は、厚生労働大臣が中央官庁によって保持されてきた主導権を保っています。中央官庁の中で、官僚の裁量と大臣の判断のいずれが上位にあるかという問題にすぎません。

しかし、建築確認の問題は、自治体の方から国土交通省を見限る可能性がある問題です。この点が、大臣の対応の差を作っているのだと思います。

地方分権は、地方からの要求があるとはいえ、中央主導です。地方が中央から離反したり、中央を見限ったりすることではありません。しかし、建築確認の現実的な混乱は、あまりに中央がお粗末すぎるために、離反や見限りの素地になりかねない状況になっています。

中央と地方の関係が、今までであったなら、ありえなかった関係へと変化しかねません。

そこが、厚生労働大臣と国土交通大臣の対応の違いを生んでいるのだと思います。

国土交通省は、大臣の判断と官僚の裁量のいずれが上位にあるかというような問題を論じることさえできない程のピンチです。

中央官庁のお粗末さから、中央と地方という枠組みのような根本的な問題へと発展し、国というもののあり方が揺らいでいます。国、とりわけ中央官庁への信頼がこれほど揺らいだことはないのではないかと思います。

裏切られたという不信なら従来にもありました。しかし、今回は違います。その実力に信頼がおけないという不信です。
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by gskay | 2007-10-24 14:07 | 政治と役所と業界
手続き違反への対応
新たに発覚した耐震偽装では、耐震性能よりも書類の改ざんが問題のようです。これは、定められた手続きに違反しているという点で適法ではありません。耐震性能が低くなくても、建築士は処分されることになるようです。

今回は、書類の改ざんは意図的であったと本人が認めています。最初に発覚した耐震偽装の元建築士を除けば、これまでの耐震偽装は、北海道の2級建築士も、アパグループの偽装に関わっていた建築士も、偽装は認めていません。書類の不備や、耐震性能の低下は、見解の相違であると主張しています。

2級建築士の場合、従事する資格があるかどうかが問われるようですが、1級建築士の補助として業務を手伝っただけだと位置付ければ、資格の有無を問わなくても良さそうな気がします。ただ、そのあたりは、名義貸しの問題になるようで、1級建築士が最終的な責任をとればいいというだけではすまされず、設計の業務は1級建築士でないと従事できないということになるようです。実際問題としては、何が補助の業務で何が設計に固有な業務なのかは、線引きが難しいと思いますが。

さて、耐震性能の低下の問題は、大変難しい問題です。再計算に再計算を重ね、慎重に判断されなくてはなりません。最初の耐震偽装において、この判断が慎重であったかは微妙です。また、閾となった数値についても異論があるようで、なぜ、あの時、あのような判断になったのかは、充分に検討しておかなくてはいけなかったことだと思います。

この計算には様々な変動しうる要素がからんでいます。そのため、計算のしかたで結果が異なってしまいます。この異なる結果をどのように合理的に評価すべきかということが問題です。

計算が下手だと、いくら強い建物を設計しても、基準をクリアできません。一方、計算を上手に行えば、高い耐震性能を証明することができます。おそらく、許された範囲で最高の数値を、様々な組み合わせの中から算出するのが、腕の見せ所なのだと思います。

その腕の見せ所で、書類の改ざんという手続き違反が行われました。しかも故意に。そこが問題になっています。

直ちに、建物の耐震性能が問題になっているわけではありません。実際、再計算によって、適法な耐震性能が確認されている物件もあるようです。また、耐震性能が低下しているとされる物件でも対応可能な程度の軽微なものもあるようです。

しかし、公共施設では、使用を中止するような反応が起こっています。この対応については、少し冷静に考えてみる必要があるように思います。使用中止には損害がともないます。その損害をどのように補償するかも問題です。

起きてしまった災害の使用中止と同じように取り扱うわけには行かないと思います。あくまで、担当者による判断による使用中止です。

また、今のところ、特定行政庁が使用の中止を命令すべき程の深刻さはないようです。だとすると、あくまで所有者として自主的に使用の見合わせを判断したにすぎないことになります。

もし、耐震性能の安全が確認されたとして、単純に使用を再開すればいいだけの問題なのでしょうか?

これは、「手続きには問題があるが、性能には問題がない」という物件に対応できるようなシステムがないための混乱です。

建築士を処断することとは別に、物件をいかに取り扱うべきかという視点が欠けています。

一旦は「適法」とされ、完成し使用されている物件への対応方法が、いまだに整備されていません。また、既存不適格が放置同然であることに比べ、この手続き違反への対応は、バランスが欠けています。

最初の耐震偽装から2年になろうとしています。しかし、こうした問題に関しては、何も学べてはいないのかもしれません。
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by gskay | 2007-10-23 13:45 | 揺れる システム
エスカレーター事故
エスカレーターの事故については、幼い頃、デパートなどへのお出かけのたびに、恐ろしい話を聞かされました。同じように、自動車や列車の窓から顔や手を出してはいけないと厳しく言い聞かされてきました。

そんなこんなで、平塚のエスカレーター事故は、とても恐ろしいイメージがわき上がるいやなニュースです。

シンドラーとイーホームズの組み合わせだそうで、旧建設省の告示に違反していることが指摘されているようです。エスカレーターについては、シンドラーが世界最大のメーカーだったと思います。イーホームズも、業界では大手だったので、その組み合わせが多く存在することと思います。

違反された告示については、最大のエスカレーター業者が把握できていないというバカなことはないと思いたいところですが、ダメなようです。ということは、ただちにエスカレーターを持っている人は点検すべきだと思います。

その告示の基準で、この事故が防げたとはいえないかもしれません。告示の違反は、罰則などについては重大とは言えない問題かも知れません。だとしても、できる注意をして欲しいと思います。

ところで、「大丈夫?」と思われるような子供の危険な行動に、ヒヤヒヤすることがあります。しかし、何となく注意できずにいました。親に遠慮したり……。子供も生意気だし……。

これを機会に心を入れ替え、大人としてきちんと注意をしようと思います。
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by gskay | 2007-10-19 10:41 | 安全と安心
検査システムの将来
建築基準法改正にともなう様々な準備が整わないまま、施行を迎え、今日に至っています。私は、準備が間に合わないのは、能力的な問題だと思っていました。しかし、意図的である可能性もあると考えるようになりました。

建築確認は滞ったままですが、その一方で、「新たな耐震偽装」では、「住宅性能評価」制度が問題を明らかにしました。「住宅性能評価」制度の有効性を印象づけるような出来事です。

建築確認などの検査業務と、住宅性能評価は重複した部分があります。その目的や詳細については、決して同じではないと思います。しかし、現実問題として、重複しています。

もし、住宅性能評価が、建築確認などの検査業務よりも優れているならば、住宅性能評価を、建築確認などの検査業務の代替えと位置づけることが可能かもしれません。

現在、建築確認は滞っていますが、もし、住宅性能評価に建築確認の代替えを認めれば、滞っている建築確認をスキップすることができます。

完全に建築確認をスキップすることはできないでしょう。都市計画などの周囲との関係の規制をクリアしているかどうかについては、建築確認でチェックしなくてはいけないからです。しかし、個別の建物の性能については、住宅性能評価によって代替えできるように思います。住宅性能評価の仕組みは、補償の制度と一体化している点も、前向きに評価すべきかもしれません。

住宅性能評価によって、費用などの負担は増えるかもしれませんが、あてにならないばかりか、適法と判断されても何も意味がない建築確認よりは良いかもしれません。

改正された建築基準法が要求しているような建築確認は、非現実的であるばかりか、意義も少ないと思います。厳格にすると称して、煩雑さと無駄な重複を要求しています。これは、マスプロダクションの小規模の建物にとっては、あまり問題にはならないようです。しかし、マンションのような規模の大きい建物や、名大工による御屋敷などは、この建築確認に従っている限り、苦しい状況に追い込まれるでしょう。

そこで、別ルートとしての「住宅性能評価」の活用です。

これまでは、建築確認と住宅性能評価は、同じ物件に対する重複する仕組みにすぎず、無駄と考えられてきました。しかし、これを、並列した別のルートにしてしまえば、それぞれの役割に意味が出てきます。

あえて、建築確認を煩雑にしつつ、肝心の責任の曖昧さを放置しているのは、金銭的な後ろ盾をもつ住宅性能評価への移行を念頭においてのことかもしれません。

既製の型通りの建物は、建築確認。オーダーメードは、住宅性能評価。

そういう仕組みで分かれていくのではないかと思います。

これなら、名大工も生き残れるし、建築確認では評価ができない先端的な建物も建てることができます。

こうした方向性を作るために、建築基準法改正が、混乱をおり込んで考えられていたとしたら、悲しいことです。多くの関係者に様々な不利益をばらまいてしまいました。高等戦術は、犠牲が小さくないと納得は得られないものです。

最初から、「複線」にすると言っていれば、状況は全く異なるものになっていたのではないかと思います。少なくとも、経済への影響は、ずっと少なくて済んだはずです。一つの制度にこだわりすぎたのかもしれません。
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by gskay | 2007-10-18 01:00 | 揺れる システム
耐震偽装と改革の関係についてのデタラメ
耐震偽装事件やその後の混乱を考える時、前後関係が無視されがちです。前後関係を無視して、因果関係をこじつけたり、後知恵のルールを無理矢理あてはめることが当たり前になっていて、誤解や偏見だらけです。

どうも、私たちは、事実の順番よりも、発覚した順番にとらわれて、物事を考えてしまうようです。少ない情報だけを元にした暫定的な分析の不十分さや誤りから抜け出すことは難しく、思い込みにこだわり続けて、後から判明した事実を適切に組み込んで解釈することが妨げられてしまうようです。

また、断片からの理解は、断片という不完全なものであるため、無関係なものが挿入され易く、直接関係がない不満や不信の都合の良いはけ口にされててしまうことがあるようです。

それが硬直化し、修正不能になると、その事件そのものの実像を見失うだけでなく、不満や不信にもきちんと対処できなくなってしまいます。

例えば、耐震偽装事件に関連した根強い批判のパターンのひとつに、小泉改革の規制緩和との関係があります。

実際は、耐震偽装は、小泉政権よりも小泉改革よりも前にすでに発生していました。また、建築確認の民間解放も、小泉政権の前でした。

そもそも、耐震偽装の最初の見落としは、民間検査機関ではありませんでした。特定行政庁である自治体の建築主事によるものです。

また、やり玉にあがった代表的な民間検査機関であるイーホームズで問題となった件数が多かった理由は、規模が大きな検査機関で取り扱いの総件数が多かったからです。イーホームズは、ERIが業務停止になっている間に業績を伸ばしました。最初の耐震偽装事件の元建築士の物件も、ERIの業務停止にともなって、イーホームズに提出されるようになったにすぎません。

「イーホームズが甘いから」と元建築士が説明したことが、広く取り上げられました。これを、そのまま字句通りに理解してはいけません。これは、イーホームズをさしているのではなく、全建築確認をさしていたと考えるべきです。

さて、意図的かどうかは別として、目をそむけられ続けている事実があります。

民間解放によって、耐震偽装を指摘できる民間検査機関が登場したという肝心な事実です。イーホームズという民間検査機関が登場することによって、これがはじめて指摘されました。

耐震偽装は、小泉改革の負の部分で、民間解放の失敗だとされています。しかし、実際は、民間への積極的な解放により、やっと、問題を指摘できる検査機関が登場したというのが真相であり、もし、民間検査機関を育成しなければ、今でも、見落としが続いていた可能性があることに注意しなくてはいけません。

むしろ、小泉改革や民間開放が成し遂げた快挙であったと位置づけるべきではないかと思います。

小泉改革や、規制緩和、民間開放を批判するとき、耐震偽装を引き合いに出すことは、「デタラメ」です。

しかし、多くの人にとって、無理な関連付けの方が常識になっています。これは、残念なことです。

そんなデタラメにこだわらず、小泉改革や、規制緩和、民間解放の弊害は、その弊害そのものとして取り組むことが大切です。

(考えようによっては、放っておけばごまかして済むものを、表沙汰にしたというバカ正直な対応が、改革や民間解放の弊害と考えることができるのかも知れませんが……)

さて、新たな耐震偽装が発覚しましたが、これまでの常識にしばられたままです。抜け出ることは難しいことだと感じます。

また、新たな事実の微妙な前後関係や、その取り上げ方の曖昧さによって、誤解や偏見が、真相とは全く異なる方向で発展する危険を感じています。

この修正不能な方向性が、思わぬ不幸や狂気、絶望や破局へとつながるものでないことを願っています。
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by gskay | 2007-10-17 06:43 | 揺れる システム
三歩すすんで、二歩さがる
建築基準法が、耐震偽装を契機に改正されましたが、その弊害ばかりが目立っています。しかし、耐震偽装の有無にかかわらず、耐震偽装以前の体制が良かったとは言えず、旧態に戻った方がいいという考えは妥当ではないでしょう。かと言って、改正後の法律に固執するのも愚策といわざるをえません。

ところで、改正前は、供給サイドばかりに都合が良い偏ったシステムであると批判されていました。改正後に、それが改善されたかといえば、あまり高い評価はできないように思います。

ただ、改正前から、「住宅性能評価」という制度がありました。これは、品質の評価や欠陥に対する補償の面から買い手にもメリットがある制度だと期待されていました。しかし、業界にとっては負担であるし、建築確認制度がきちんと機能しているという前提にたてば、二度手間にすぎません。買い手に負担が転嫁されることにも抵抗感があったものと思われます。強いていうなら、高いレベルの品質を保証するという制度らしいのですが、あまり利用が進んでいませんでした。

ヒューザーは、この制度を利用していませんでした。このことも含め、補償が滞るという懸念が広がり、ヒューザーは破産に追い込まれることになりました。

一方で、ヒューザーの物件ではありませんが、この制度の認定を受けていたにもかかわらず耐震強度に問題がある物件が発覚しています。「評価」としての審査の能力には疑問符がつく制度でもありました。

補償制度と考えれば妥当な制度かもしれませんが、建築確認制度との併存や、検査の能力の限界からみると、中途半端な制度でした。

耐震偽装は、イーホームズが問題として取り上げたことから発覚しましたが、それがなければ、「違法建築」などというものを指摘する能力さえないのが実情でした。違法や欠陥が明らかにできないのなら、補償制度は機能しません。明らかにすることが難しいことでないなら、そもそも、欠陥も違法も生まれてきません。自己矛盾の制度です。

このため、補償制度にかこつけた集金のシステムとしてしか見なされていなかったのではないかと思います。補償制度を用意してはいたものの、まさか、それを活用することは想定していなかったのではないかとさえ思える中途半端な制度でした。

どうやら、この制度の定着や活用が、混乱収拾の到達点になるのかと思います。

最初の耐震偽装では、「住宅性能評価」による補償制度はともかく、その背景にある審査は無力であることが明らかになりました。しかし、今回の耐震偽装では、建築確認は無力のままでも、「住宅性能評価」の方は、それなりに改善していると評価できるような成果と位置づけることができます。

だったら、建築確認と重複した制度ではなく、「住宅性能評価」に一本化してしまえばいいのではないかという方向に進めたいのかもしれません。

「住宅性能評価」の理念自体は、買い手の側からみても評価すべきだと思います。ただ、その実力がともなっていなかったことが、広く受け入れられなかった原因だと思います。その実力を、今回、証明したということになります。

問題を発見した「住宅性能評価機関」が公表されていない点など、気にかかるところはたくさんあります。微妙な問題があるのかもしれません。本来は、より高い性能を評価するのが目的ですが、今回は、違法を発見してしまいました。その違法は、建築確認で見落とされたものであり、その機関との関係が問題になります。

たとえば、同じ検査機関が、建築確認で見落とし、「住宅性能評価」で発見したとなると、その機関の建築確認業務への態度が厳しく問われることになると思います。たとえ同じ検査機関でなかったとしても、やはり、建築確認の意義を疑問視せざるをえません。

そうした微妙な問題はあるものの、建築基準法改正という「三歩前進(前進が大きすぎて誰もついていけなかったというより、実質的には足踏みだけで前進してはおらず、負担と弊害ばかりが目立ったけれど)」から「二歩」さがり、「住宅性能評価」制度の定着させようというのかもしれません。これは、かつて果たせなかった「一歩前進」です。

もともと、阪神大震災以降の問題意識の中から登場し、買い手の保護も視点にいれた制度ではあったものの、業界の反対や能力の限界から広がらなかった制度です。今なら、補償の制度としても、審査の能力についても、歓迎できるのではないかと思います。

はじめからそのつもりだったとしたら、すごい高等戦術です。しかし、巻き込まれた側はたまりません。また、一国の経済に大きな影響を与えてしまった点で、大局を見誤っています。

とりあえず、改正された建築基準法による混乱からの出口はここなのかもしれないと、前のエントリを書いたあとから考えています。改正した法律をうまく軌道に乗せるのが第一でしょうが、失敗したとしても、ここに落ち着くことは簡単だと思います。
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by gskay | 2007-10-16 13:44 | 揺れる システム