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建築基本法
これまで、行政を含めた建築の関係者の間の責任や役割が、明確に決められてはいませんでした。建築主、設計、施工、監理といった役割に加え、行政が建築では大きな役割を果たしています。

建築主や、設計、施工、監理といった関係者の間の責任や役割分担については、曖昧な部分があるものの、個々の事業ごとに調整すれば良いことでした。しかし、行政の役割は、曖昧にしておくことは許されないと思います。

行政の役割が曖昧であるために、行政はフリーハンドの裁量を手に入れ、行政に都合が良い仕組みを構築することができました。行き当たりばったりの施策や責任逃れ、明らかな失政や能力不足、不作為も、裁量と無謬という前提によって肯定されていました。この無謬という前提は、誤りを誤りと指摘する根拠がないというだけのことですが、無反省な施策が繰り返されてきました。

建築基本法は、建築における行政のあるべき姿や、責任、役割を明記し、誤りを誤りとして認め、それに対処する根拠を与えるようなものであるなら歓迎です。

ただし、建築の関係者に全てを押しつけるだけであったり、行政の裁量を無制限に許すようなものであったら、今よりも良くなるわけではないので否定すべきだと思います。


「建築基本法」制定へ=耐震偽装事件で責務規定−国交省(時事通信) - Yahoo!ニュース


「建築基本法」制定へ=耐震偽装事件で責務規定−国交省

8月29日14時34分配信 時事通信

 国土交通省は29日、建築行政の基本的な理念などを定める「建築基本法」制定に向けた検討を始める方針を固めた。安全で質の高い建築物を将来に残すよう、環境問題への配慮など新たな視点を取り入れるほか、耐震強度偽装事件の反省に立ち、行政や建築士などの役割・責務を法律で位置付ける見通しだ。2010年の法案提出を目指しており、社会資本整備審議会(国交相の諮問機関)で近く検討を始める。 



引用の記事は、小太郎とカラスウリと: 「建築基本法」制定へ〜耐震偽装事件で責務規定の ひらりん さんの指摘で知りました。

ひらりん さんは、どちらかというと、この動きに否定的であるようです。これまでの一連の対応に問題が多いため、新たなことに懐疑的にならざるを得ないのだと思います。

私も、現在の行政のありかたを肯定し固定化してしまうのではないかという懸念は感じます。

しかし、しっかりとした「建築基本法」を作ることができれば、無制限の行政の裁量を抑制することになると思います。また、責任や責任を果たすための対処の仕方も明確になると思います。さらに、行政として努力すべき能力の向上の方向性もはっきりすると思います。

根拠もなく、行政の裁量が放置されてきました。それが、悪い影響を出していない限りは、「建築基本法」などなくても何とかなったと思います。しかし、技術が高度化し、行政の裁量が悪影響を与えることが多くなって、もはや放置してはおけない状況ではないかと思います。一方で、介入が必要な部分への介入が行われておらず、いびつです。また、そもそもの能力も疑問です。

「建築基本法」なしに、行政の役割を制限したり、必要なところに行政を適切に介入させたり、能力向上の努力を促したりする方法はないように思います。

「官僚の自律」によって適切な施策が行われるというのは、望ましい姿かもしれませんが、現状を見る限り、幻想だと思います。

本来は優秀で志が高い人材を結集しているので、しかるべき方向に導く手だてさえあれば、事態は良くなると思います。

ただ、やはり、逆の方向に進む可能性が少なくないのが、この官僚システムの恐ろしいところなので、油断はできないと思いますが……。
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by gskay | 2008-08-31 05:28 | 揺れる システム
事務所費問題
何度も繰り返される事務所費問題は、何が重大なのか、私には今イチわかりません。政治家が不正に私腹を肥やしているいるのであれば、その直接的な証拠で追及するべきだと思います。

不正を隠そうという意図を会計から見抜くという姿勢は大切だと思いますが、この「事務所費」というのは陳腐な言いがかりのようなものになりつつあるのではないかと懸念します。

「事務所としての実態」という言葉が常套句で用いられていますが、そもそも、事務所という発想と、今日の政治活動の間に乖離があるように思います。

携帯電話をもって政治家も秘書も飛び回ります。インターネット環境の充実で、広報をするにも情報をあつめるにも分析するにもネットは不可欠ですが、逆に、ネットさえあれば、どこでも仕事ができます。会議なども、貸し会議室などが用いられるのではないかと思います。

いまや、事務所には、登録するための届け出住所という意味しかないのではないかと思います。

「事務所費」という名称から、家賃などの費用と直感的には感じますが、「その他」とされる費用があるのが曲者ではあります。

しかし、そもそも、「事務所費」という名称や項目が、政治活動の実態にあわなくなっているのではないかと思います。

不正の追及の面からも意義が低下し、政治活動の実態から乖離していることを考えると、「事務所費」という項目を見直した方が、政治に必要な費用の実態をより明らかにできると思います。また、不正の追及についても、より有効になるように思います。

ところで、「事務所費問題」と、農水大臣のポストは、まるで不可分のようですが、これは、どういうことなのでしょうか?

『日本の食と農 危機の本質』( 神門 善久著 NTT出版 2006)には、農地をめぐる政治システムの分析をしている部分がありました。国と地方の政治のうち、とりわけ地方政治の問題点を指摘しています。

農政には複雑で巨大な利害が、直接的、間接的にからんでいます。このため、農水大臣のポストをめぐって、手段を選ばない闘争の舞台が作られているのではないかと思います。国政だけでなく、地方政治もその舞台になっていて、もっとも政治的に活発な場所の一つなのではないかと思います。

ただ、食糧の問題や農業に従事する人のことを考えると、その活発さには違和感を感じます。こんな政治闘争をしている場合なのかが疑問です。
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by gskay | 2008-08-31 04:36 | 政治と役所と業界
刑事訴追のための能力の不足(2)
医学は、臨床の学問であり、その学問的な裏付けがあるから、医療に正当性があるのだと思います。臨床の学問であるため、常により正確なものへと書き換えられています。しかも、コンピューター・インターネットによる情報化により、最新の知見を簡単に手に入れることができます。

医療では、医学書に書かれているような指針をルールであるかのように捉えて守ることよりも、より有効で適切な手段をとることが優先されるべきです。

医療においても必ず守らなくてはいけないルールはあります。たとえば、酸素ボンベの色は決まっているし、レギュレーターなどの管は、専用のものしか接続できないようになっています。

この守らなければ行けないルールは、船が衝突しそうになったときに、どのような回避行動をとるべきかというルールと同じようなものです。

これに対し、医学書に書かれている指針は、その当時の知見を著者の考えを交えて紹介しているだけであり、ルールではありません。

検察は、「医学的準則」という難解な言葉を用いてはいるものの、医学や医療の本来のあり方を曲解しているように思います。次席検事とういうのは、その検察庁のスポークスマンを担当しているということです。この考えが、検察全体の考えなのか、この次席検事の個人的な見解なのかわかりません。また、記事にした記者の考えも加わっているかもしれません。


産科医の無罪確定へ=帝王切開死、検察が控訴断念−「今後は慎重に捜査」・福島(時事通信) - Yahoo!ニュース



8月29日15時15分配信 時事通信

 福島県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が大量出血して死亡した事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた執刀医加藤克彦被告(40)を無罪とした福島地裁判決について、福島地検は29日、控訴の断念を決めた。控訴期限の9月3日が過ぎれば、無罪が確定する。
 公判では、癒着した胎盤を子宮から剥離(はくり)した際に大量出血を予見できたのかと、剥離を中止し子宮摘出に移る義務があったのかが主な争点だった。
 地裁は20日の判決で、子宮摘出に移るべきだとした検察側主張について「医学的準則だったとは認められない」とし、被告に剥離措置を中止する注意義務はなかったと認定。検察側立証は医学書の記述などにとどまり、主張を裏付ける臨床例を提示していないと指摘していた。
 同地検の村上満男次席検事は「違反者に刑罰を科す(医師の)注意義務をどうとらえるかで、裁判所は検察と異なっていた。裁判所は臨床、検察は医学書に基づいており、判決のような考え方もある」とし、控訴しても裁判所の判断を覆すことは困難とした。
 加藤被告の逮捕、起訴について「法律と証拠に基づいてやった。判断としては間違っていない」としたが、「今後はより慎重、適切な捜査をしたい」と述べた。 


「裁判所は臨床、検察は医学書に基づいており、判決のような考え方もある」という発言は、医学が臨床の学問だということを忘れたトンチンカンな発言です。

医学書がどのように書かれるかということや、医療の意思決定がどのように行われるかを考えると、全く内容のない、意味がない釈明です。


大野病院医療事故:県、懲戒処分見直しも 地検が控訴断念、医師の無罪確定へ /福島(毎日新聞) - Yahoo!ニュース



 無罪確定へ。大熊町の県立大野病院で04年に起きた医療死亡事故の裁判は29日、福島地検が控訴断念を明らかにし、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた加藤克彦医師(40)の無罪が確定することになった。県は、加藤医師の懲戒処分の見直しを検討している。【松本惇、西嶋正法、今井美津子、石川淳一】
 福島地検の村上満男次席検事は「事実関係はおおむね検察官の主張通り認定している」とした上で、「判決は刑罰を科す基準となる医学的準則を、ほとんどの者が従っていると言える一般性を有しなければならないとした。裁判所の要求も考え方としてあり得る」と述べた。加藤医師の起訴については「被告が持っていた医学書に(検察側主張に沿う)記載があり、産婦人科医の鑑定もあったので、違法とは思わない」と正当性を主張した。県警の佐々木賢・刑事総務課長は「法と証拠に基づき必要な捜査をした。医療行為の捜査は今後も慎重、適切に行いたい」と話した。
 一方、加藤医師の弁護団は「当然の結論。産科を中心に医療現場全般に与えた悪影響が収束することを期待する」とし、日本産科婦人科学会は「今後も母児ともに救命できる医療の確立を目指し、最大限の努力を続ける」との談話を発表した。
 また、県病院局の茂田士郎・病院事業管理者は「医療事故の再発防止に全力を尽くしたい」とコメント。加藤医師を減給1カ月(10分の1)とした05年6月の処分について、同局の林博行次長は「判決を吟味し、(加藤医師の過失を認めた)県事故調査委員会の報告書を含め、懲戒処分取り消しも視野に検討したい」と話した。
 保岡興治法相は会見で「医療事故の調査は、専門家らで構成する第三者委員会がリスクなどに専門的判断を下し、刑事司法はそれを尊重し対応する仕組みが必要」と語った。

8月30日朝刊

事実認定に関しては、ほとんど争われていないので、検察の手柄はないと思います。

「刑罰を科す基準となる医学的準則」というものが、どのように形成されるのかが問題になっています。「被告が持っていた医学書に(検察側主張に沿う)記載」というのが検察の根拠ですが、その記載通りに医療を行った場合とそうでない場合を比較する資料が必要です。根拠とした医学書にはルールが記載されているわけではないので、その記載に反したことが問題だとは断定できません。その記載に沿わない主張もあるような内容の場合、医学書に記載されているからといって、直ちに根拠にはならないと思います。

起訴の正当性に関しては、検察が批判されるべき点が多いと思います。ただ、能力不足による見込み違いによるもので、違法とはいえないと思います。

この能力不足は、情報化によって医学のあり方が大きく変化したことに気付いていないことによるように思います。現在、データは、論文や統計で容易に入手でき、それがエビデンスとなって医療の中身を決めています。

警察も検察も、マスコミも、医者がどのように勉強しているかということを、全く知ろうとしていないのではないかと感じました。古い時代の発想で無理矢理解釈しようとしていると感じました。一般の人に大きな影響があると思います。これは、とても、重大な問題ではないかと思います。

コンピューターによって情報の集積や分析が容易に行えるようになって情報の量も質も変わりました。加えて、インターネットによって誰もが容易にアクセスできるようになっています。医学はその恩恵を強く受けています。文献ということに限って言えば、この裁判のために必要な資料は、気が利いた医学生なら、半日もかからず揃えられると思います。

ちなみに、文献はみんな英語です。いまや、ドイツ人もフランス人もロシア人も英語で仕事をしています。そこには、国境も言葉の壁もありません。そう考えると、日本語で済んでしまう仕組みは限界がきているのかもしれません。想像ですが、検察が優先したという医学書は、日本語の医学書であったのではないかと思います。英語くらい読めなきゃ、いまどき、プロの仕事に関わることはできないと思うのですが……。

もちろん、医学や医療には、文献にならない知識や、言葉であらわすことができない技術があったりするので、文献などの資料が判断の全てではありません。しかし、文献にかぎって考えれば、「医学書」の記載を持ち出して、「臨床」を根拠にした判決との立場の違いを釈明しようとした検察の姿勢からは、医学が臨床の学問であることを忘れていることが伺えます。また、専門知識の不足と言う能力不足以前に、情報についての能力が不足しているように思います。

日本は、インターネットや情報について後進国だと思います。日常生活や専門領域では、かなり浸透しているように思いますが、日本という「国」の屋台骨となる役所では、警察や検察に限らず、取り組みが絶望的に遅れていて、20年以上前の発想にしがみついているようにに思います。
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by gskay | 2008-08-31 01:29 | 安全と安心
ホテル業者による行政への賠償請求
耐震偽装では、建築確認という制度の責任や意義が大きなテーマのひとつです。強力であり重要な手続きであるにもかかわらず、その責任の範囲は曖昧です。特定行政庁は、自らが出した建築確認であっても、自らの使用禁止命令などによって実質的に否定できる一方で、自らが出した建築確認に対する責任は負いません。

その「誤った」建築確認がなければ、問題の建物は建たなかったはずですが、その点は、問題として取り上げられてはきませんでした。

中日新聞:耐震偽装で愛知県を賠償提訴 姉歯物件のホテル業者、2億7000万円求める:社会(CHUNICHI Web)


耐震偽装で愛知県を賠償提訴 姉歯物件のホテル業者、2億7000万円求める

2008年8月20日 朝刊

 耐震強度偽装事件に巻き込まれ、ホテル改修を余儀なくされたのは、愛知県の建築主事が建築確認で偽装を見抜けなかったためとして、ビジネスホテルのアズイン大府(同県大府市)を運営するフリックイン福井(福井市)が、愛知県に約2億7000万円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こした。

 訴えによると、同社は2003年3月、設計会社を通じて県に建築確認を申請。適合の判断を受けて着工し、同年11月にホテルをオープンした。

 しかし約2年後、元一級建築士姉歯秀次受刑者(51)=建築基準法違反罪などで実刑確定=による耐震強度偽装が発覚。姉歯受刑者が構造設計を担当していた同ホテルは、改修と06年6月までの休業を余儀なくされた。

 原告らは「建築確認で柱に必要な鉄筋量を満たしていないことは簡単に分かったのに、十分に検査せず偽装を見過ごした」と建築主事のミスを指摘。改修費と約7カ月間の休業補償を求めている。

 県建築指導課は「建築確認に必要な手続きや適切な対応をとっており、過失はない」としている。

住民によっておこされている裁判も同じですが、簡単な裁判ではないと思います。実際に発生してしまった損害に対し、どうように負担を分担すべきかという問題で、関係者の納得が第一です。何を争点にするかを絞り込まなくてはいけません。

建築確認における「過失」の有無について問う裁判になる様子です。「偽装」を見逃したことが過失によるかどうかを論じることは、事の本質に迫るアプローチではあるものの、民事の問題としては難しい問題になるのではないかと思います。

当時の仕組みでは、元建築士が行った偽装は、建築確認の前に設計会社がまとめ、その設計会社の責任で図書が提出されているのであり、誰が下請けで構造設計していようと関係がないばかりか、故意の偽装があったかどうかも関係なく、建築確認では、設計会社の設計が適法であるかどうかだけが問題になります。

不適切な設計が提出されていたにもかかわらず、それを見逃したことが問題であり、そこに偽装があったかどうかとは別の問題として考えると問題は単純になるように思います。記事のように、偽装を見過ごしたことを問題にするのではなく、問題を広くとらえて、適法でない設計を適法と認めてしまったことを問題にすべきだと思います。

また、適法でない建物ができてしまった全責任が建築確認のための検査の誤りにあるとはいえないものの、建築確認が適切に行われていれば、このような形で違法建築が生まれることがなかったという点を重視すべきだと思います。どのような連帯責任として考えるべきかが問題になると思います。

ただ、特定行政庁が責任を逃れる方法はいくらでもあります。元建築士の故意の偽装は、設計会社や特定行政庁、建築主などを欺くために行われたものだと主張することができるからです。この場合、偽装が簡単に見抜けるものだったら、特定行政庁の責任を追及できるかもしれませんが、なぜ、設計段階や建築主が気付かなかったのかという問題にもなるので、微妙です。一方で、とても高度であったなら、不可抗力ということになります。

肝心なのは、損害の分担をどのように考えるかだと思います。県が、徹底的に争う構えなのか、それとも、法律ではっきりと定まっていない部分についても賠償に応じるために、判決によるお墨付きを必要としているということなのかかわかりません。

ところで、耐震偽装の後始末については、耐震性能が基準以下かもしれませんが、適法としてしまった建築確認の意義を認め、既存不適格とみなして耐震補強が必要な建物と同じに扱うこともできたのではないかと思います。そういう捉え方をしていれば、一連の出来事は、全く異なるものになっていただろうと思います。

耐震基準については、これから作られるまだできていない建物にこそ適用されるべきで、取り締まりの基準として用いることが妥当であったのか考え直してみる必要もあると思います。そう考えると、行政の対応についても、裁判についても、全く違ったあらすじを書く事が可能ではないかと思います。
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by gskay | 2008-08-30 02:17 | 損害と回復
刑事訴追による代替
「あって欲しくないこと」の原因を追求し、「あってはならないこと」されることが行われていた場合には、その責任を負う人を罰することになります。

しかし、すべての「あって欲しくないこと」に、必ず「あってはならないこと」があるとは限らず、「仕方がないこと」もあります。「仕方がないこと」は、処罰の対象にはなりません。

ただし、「仕方がないこと」だったからといって、それで関係者の責任や役割が無くなるわけではありません。

特に、医療の場合、「あって欲しくないこと」に携わることになった医師には、患者や家族の動揺や憤りに誠実に対処することが必要になります。専門的な知識や情報が医師の側に偏在しているからこそ、そうした姿勢が必要です。

それが欠けると紛争になります。

この紛争は、医師と患者、あるいは医師と家族の間の個別の紛争です。警察が介入しても、患者や家族の動揺や憤りが直接的に解消されるようなものではないはずですが、不満や不信、怒りを「御上のお仕置き」に振り向けることで解消できるような気分が生まれます。

そうした気分に乗って、「仕方がないこと」だったとしても、あたかも「あってはならないこと」であったかのように立件しようという風潮があります。とりわけ医療では、医療不信を背景にそれを支持するような雰囲気があります。

たしかに、家族が求めていた情報が警察の捜査によって明らかになるというメリットはあるかもしれませんが、それは、本来、医師や医療機関によって知らされるべきもだったのではないかと思います。医師や医療機関が、患者や家族にきちんと対応しきれなかった部分を、警察の捜査が補ったにすぎません。

医師や医療機関と、患者や家族とが、個別に良好な関係を築き上げ、納得することを目指すことが必要です。時には、紛争に発展し、補償が必要になるかもしれないし、簡単に解決できず、民事訴訟にいたることもあるかもしれませんが、当事者間の努力が第一です。

そうした努力を飛び越えて刑事事件として裁き、「御上の裁き」によるお仕置きで解決と考えるのは、個別の努力も、個々の納得も否定することにつながりかねないと思います。患者や家族が求めているものを手に入れる機会を奪いかねない危険をもっていると思います。「御上」まかせにしてはならないように思います。

「あって欲しくないこと」という状況に直面した患者や家族への対応を考えると、「あってはならないこと」への厳格な対応を、全てに一律に適用して問題が解決したと考えるべきではないと思います。たとえ、「仕方がないこと」で過失がなかったとしても、もっと、医師や医療機関が誠実に対応する責任を強調し、患者や家族が苦しみから解放され、納得できるような方向を目指すべきではないかと思います。

残念ながら、医師や医療機関が、「世間」の前で萎縮し、本来の責務を果たせていないような気がします。もっと、医師や医療機関が毅然とし、本来の責務を達成する必要があると思います。

また、「あってはならないこと」への刑事訴追を、誰もが納得できるような形で徹底するための高度な体制が必要だと思います。これによって、強引な「御上の裁き」を避けることもできると思います。同時に、刑事訴追を通した「御上の裁き」による天罰は、本当に患者や家族にとって望ましい事のかどうかについて、「世間」も当局も考えてみる必要があると思います。
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by gskay | 2008-08-29 20:12 | 安全と安心
刑事訴追のための能力の不足
福島県の産婦人科医の業務上過失致死をめぐる裁判の無罪判決をきいて、耐震偽装に巻き込まれた当初の出来事を一つ思い出しました。

耐震偽装が世間の注目を浴びている時、警視庁に捜査本部が置かれました。私たちのマンションの住民集会にも警視庁の担当者が説明にやってきました。捜査への協力依頼が主なものだったと記憶しています。その説明の中に驚いたことがあります。

警視庁には、建築の専門家がいないというのです。

外部の専門家に協力を求めるそうですが、警察独自の力では、捜査をやり遂げることは不可能です。自信をもって判断を独自に下すのは難しいのではないかと想像します。ただ、建築には建築主事という専門家がいて取り締まりができるという仕組みがあることはあるので、特定行政庁が主体的に取り組めばよく、警察や検察は司法上の実務を担当すればいいのだろうと、その頃は考えていました。

福島県の産科医の無罪判決をきいて、少し考えが変わりました。

この事件をめぐる警察の動きには、多くの医師が反対の声を上げました。ほとんど全ての医療の専門家が、患者の死亡という深刻な結果があるものの、医学的な合理性からみて適切な医療行為であり、業務上過失致死に問える問題ではないと疑問をむけ、警察や検察の方針に反発するという事態になりました。

産科医を逮捕し立件した警察は、このような事態を想定していなかったのではないかと想像します。医療の結果の深刻さからみて、有罪と考えたのではないかと思います。しかし、異例の逮捕勾留という強権を発動したにもかかわらず、無罪判決になりました。

この事件では、警察や検察に、医学的な合理性や常識が欠けていました。家族の感情や、蔓延する医療不信を背景とした主張しか出来ず、専門的な合理性をもった主張ができていません。患者の死亡と言う最悪の事態を回避できたはずだという主張の裏付けを何も出す事ができませんでした。それが、無罪となった理由だと思います。

医師の側から、警察や検察の主張を支えるような主張は、ほとんどなかったと聞いています。これは、医師たちが身内をかばったのではなく、警察や検察の主張に無理があったからです。

警察や検察に、医学の知識が欠けていたことが、このような事態を招いたと思います。医学の知識があったなら、このような強引な立件は無かっただろうと思われます。このような事態への反省もふくめて、「医療事故調査委員会」というような第三者機関が構想されています。その取り組み自体は、大切だと思いますが、だからと言って、警察や検察の能力不足を放置していよいのかどうかを疑問に感じました。

もし、合理性を欠いた強引な立件が繰り返されれば、医療は萎縮してしまうでしょう。しかし、あってはならないことが放置されてしまったら、医療が荒れてしまいます。そのどちらにもならないように、警察や検察による取り締まりや処罰の能力を高めておくことが必要だと思います。そのためには、警察や検察に医師を加えたり、警察官や検事に医学教育を施せばよいのではないかと思います。

同様なことが、建築にも言えるように思います。専門的なことを、国土交通省や特定行政庁、あるいは民間検査機関に頼らざるを得ない警察は、建築の不正に対して無力です。しかし、これも、専門的な知識や資格をもつ建築士を登用したり、警察官や検事に教育を施せばよいはずです。

ところで、建築に関しては、規制と取り締まりが、特定行政庁に集中しています。この状況では、取り締まりの手柄は、規制の手落ちを指摘することに他ならず、身内に傷をつけることになりかねません。このような状況を見直し、規制と取り締まりを分離すべきです。分離された取り締まりの役割を担う機関として、警察は能力を発揮することが期待できると思います。

医療にしても、建築にしても、専門家による自律や自治が、技術の向上のためにふさわしいと思います。しかし、それとは別に、逸脱してしまったことについては、警察や検察による厳しい取り締まりが必要で、警察や検察は、それを行うだけの能力をつけておく必要があると思います。

専門家には、警察や検察による介入への忌避感があると思います。その忌避感は、今回のような能力不足による無理な立件があると、さらに強くなってしまうと思います。これをきっかけに、自律や自治への自覚が目覚めるのは好ましいと思いますが、だからと言って、警察や検察の能力不足を放置してはいけないと思います。警察や検察の能力を向上させ、有効で的確な取り締まりをめざすという筋道も検討されるべきだと思います。
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by gskay | 2008-08-28 23:40 | 安全と安心
「占い」
科学への盲信と、占いへの盲信は似ていると思います。扱い方を間違えないように気をつけなくてはいけないと思います。科学には、あいにく無限の力は備わっていません。無限の可能性はあるかもしれませんが、無限の可能性があるのは、占いだって同じです。

<個人情報>担任が占師に児童の障害相談 秋田の小学校(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


<個人情報>担任が占師に児童の障害相談 秋田の小学校

8月24日18時39分配信 毎日新聞

 秋田県男鹿市の小学校に勤務していた男性教諭(40)が、特別支援学級の男子児童について、保護者に無断で名前や障害の程度などを占師に告げ、治療方法を相談していたことが分かった。教諭は「子供の障害が良くなればと考え、相談した」と市教委に説明している。

 市教委学校教育課によると、教諭は07年初め、神奈川県内の占師を訪問。児童の名前や生年月日、障害の内容などの個人情報を伝え、「どうしたら良くなるか」と占いを申し込んだ。インターネットの「病気が治った」という書き込みを見て、この占師を知ったという。

 教諭が同4月、「占いで、岡山の治療師のところに行けば治る可能性があると言われた」と保護者に話したため、不審に思った保護者が学校に相談して発覚した。市教委と教諭は保護者に謝罪し、占師に連絡して個人情報を削除してもらったという。

 教諭は06年4月から同校の特別支援学級を担任しており、今春に県内の他の学校に異動した。同課は「保護者に無断で個人情報を漏らし、占師に頼ったことは不適切だった」と話している。【百武信幸】

このニュースに関して、この教諭の行為の是非が問題になっているようです。私は、この教諭の行為を肯定的には見ていませんが、問題の取り上げ方にも疑問を感じます。

市教委学校教育課の、「保護者に無断で個人情報を漏らし」というコメントは、「個人情報」というキーワードが入っていることが気になります。個人情報保護法の対象になる狭い意味での「個人情報」を意識しているかのような発言であると誤解されると思います。そのような法律があろうとなかろうと、公務員であるなら、守秘義務の方が強いしばりになると思います。法律の定めにはならないかもしれませんが、教師の職業倫理もあると思います。

「個人情報」というキーワードを使う事が風潮になっているように思います。このキーワードで、善悪を断定しようとしているように思いますが、かえって問題を曖昧にしてしまっているように思います。

仮に、個人情報という観点からの手続きが正しかったとしても、「占師に頼ったこと」は、「不適切」であったと、私は思います。

「どうしたら良くなるか」という意識の中に、教師が無制限な責任や権限を負っているかのような錯覚があったのではないかと思います。限定的な責任や権限の中で最大限の努力をすることは美徳だと思います。しかし、それを逸脱するのは、教師としては不適切だと思います。

人間関係が、単なる教師と生徒や家族という関係を超えて良好なものができていたのだとしたら、話は別かも知れません。とはいうものの、その場合、このようなすれ違いはおきないはずです。第三者から、馴れ合いという批判が出ることはあっても、当事者同士のすれ違いはないはずです。「不審に思」われてしまった程度の関係なので、良好な人間関係だったとは思えません。

また、記事で読む限り、保護者が教師に無制限の要求をしていたようにも思えません。教師の余計なお世話だったのではないかと思います。

ひょっとすると、保護者が充分な役割を果たしていないとか、不適切なことをしていたという事情を教師が見かねたのかもしれませんが、だったとしたら、児童相談所への通報などを行うべきであったと考えるべきだと思います。

教師が、勝手なことを教師の役割を逸脱して行ったことは不適切だったと思います。これは、相談の相手が、「占い師」だろうが、「医療機関」であろうが、不適切だと思います。

こうした手続きの問題や制度の問題が解決したとしても、「占い」が用いられたことについては、異なる次元から不適切だと思います。

「占い」を非科学的だからと退けるのは、この出来事を考える上では、適当ではないと思います。必ずしも、占いと科学を対局において考えてはならないと思います。むしろ、同じように危険なものと考えるべきではないかと思います。

この教師には、「何とかなるはず」、「できるはず」という思い込みへのこだわりがあったのではないかと思います。加えて、「絶対」を求めたのではないかと思います。

人は、「何とかなるはず」、「できるはず」という思い込みへのこだわりのあまり、「何か」を都合良く盲信して、現実から目を背けてしまいます。「科学」や「占い」は、その「何か」のひとつです。「科学」も「占い」も、人を盲信させる魔力があることは共通です。

「科学」であろうと、「占い」であろうと、いずれも「絶対」とは程遠いのが実情です。どちらも、盲信してはならない対象です。「占い」の場合、根拠に問題があったり、再現性が検証されていなかったりという欠陥が多いようです。これに対し、科学的な取り組みは、「占い」の反対にありそうですが、「わからないことはわからない」という重大な欠陥があります。科学は完成されたものではなく、しばしば、前提となる知見が崩されてしまうこともあります。

この記事からはわかりませんが、この教師は、まじめに「科学」的な解決策を探した挙げ句、現状では解決策がないという結論に落胆し、「占い」に頼ったのかもしれません。あるいは、はじめから、不完全な「科学」には背をむけて、「占い」に頼ったのかもしれません。しかし、「占い」も、絶対ではないということには気付かなかったようです。

ところで、この記事は明言はしていないものの、「占い」の盲信を批判するニュアンスが含まれていると思います。このように「占い」を盲信している人を諌めたり、批判したりすることは良くあります。しかし、「科学」を盲信している人を諌めようと言うのは、あまり多いことではないように思います。そう考えると、「占い」について冷静に批判的に考える方が、「科学」について冷静に批判的に考えるより簡単だと言えるかもしれません。

明らかなエセ科学やインチキに限らず、まともな科学の成果も、誤った取り上げ方をすると、とんでもない事態につながります。私は、耐震偽装の騒動や、食品の管理で問題になった出来事のいくつかは、「科学的な考え方」とされる考え方に問題があると思っています。考え方をかえたり、前提を検証すると、問題が問題でなくなってしまうような問題であったと考えています。

「科学」に対する盲信にしろ、「占い」に対する盲信にしろ、限界に対する無知と、「何とかなる」という思い込みに加え、「絶対」の過剰な追求が、問題への的確な取り組みを阻害したり、弊害をもたらしてしまうように思います。

もし、この教師が、「どうしたら良くなるか」ということに真剣に取り組むとしたら、他人任せにしてはいけません。自らが限界を克服するための挑戦をしたり研究をするべきです。障害が良くならないとしても、その児童が障害とともに生きていく上で不都合がないような環境を整えることもできると思います。

「科学」にしろ、「占い」にしろ、他人まかせにするための都合のよい口実としての「絶対」を捨てる必要があります。良くする方法がないという現実を理解したのであれば、どこかに良くする方法があるはずだという盲信を捨てるべきです。そして、自らが切り開かねばいけないということに気付くべきです。

もし、この教師が強い問題意識をもっているのなら、是非、他人まかせにせず、自らの力で問題に挑んで欲しいと思います。
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by gskay | 2008-08-25 11:33 | 安全と安心
祭りの写真
祭りの写真が送られてきました。あいにくの天気だったようですが、盛大な祭りになったようです。

この時期は、夏休みで帰省したり、旅行に出たりしてしまうこともあると思います。しかし、一度でもこの祭りの神輿を担いでしまうと、少なくとも3年に一度は、この祭りが夏休みの中心になります。

写真をみて、微妙に昔住んでいた町とは、装束や担ぎ方が違うように思いました。

今の町の神輿は小振りです。神輿にあわせて担ぎ方の流儀も違っているのだろうと想像しています。

装束の違いについては、半纏のデザインの違いだけでなく、下につけるものが違っているようです。細かいところは、各自でアレンジしているのだと思いますが……。

早速、写真を見せてくれた方に心から感謝しています。祭りの心配をして、ソワソワしていました。少しは、落ち着きます。

ますます3年後が楽しみです。
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by gskay | 2008-08-20 00:05 | いろいろ
神輿
「神輿」は、住みたいと思ったきっかけのひとつです。

江戸の三大祭りに数えられる大きなお祭りがあります。神輿に関しては、この祭りがナンバー1だと言われています。3年に一度、五十基をこえる神輿が勢揃いします。若い頃、同じ地域の別の町に住んでいて、その町の神輿を担いでいました。いつかは、この地域に戻りたいと思っていました。

3年前の前回は、まだマンションが出来上がる前だったので、参加には間に合いませんでした。今回は、仮住まいになっているので、お預けかと思っていました。ところが、町内会の配慮で参加できる事になったと、マンションの役員から連絡がありました。

とてもありがたい話なのですが、私は、出張中で参加できません。残念です。次は3年後で、その時までには、再開発・建て替えも終わっていることと思います。

ところで、神輿をきちんと巡行させようと思うと、多くの担ぎ手と、それを統率する人が必要になります。弁当や飲み物の配慮も必要です。町内会の力が発揮される場面です。

場所によっては、オフィス化が進んでいて、企業の職員が担ぎ手になっていたりするようです。かつて住んでいた人も参加していたりします。さらに、住民の親戚や、職場や学校の仲間など、ありとあらゆる縁をたよりに担ぎ手を集めます。そうしないと、神輿は威勢良く挙りません。

また、神輿は挙って進んでいるだけではだめです。さしあげたり、もんだりという技も披露しなくてはいけません。当日集まったばかりの素人の担ぎ手に、安全にその技をさせるのは簡単ではないと思うのですが、睦の人たちは見事に統率します。

五十以上の神輿がひしめく中、半纏を目印に、町内会が用意した食べ物や飲み物が配られます。同じ半纏を着ているだけで、どういう経緯で参加していようと、この町の人になれます。

神輿がある町に住んでいる人たちは、職場や学校の仲間を「担ぎにおいで」と招待します。その仲間のために、町の半纏を確保しなくてはなりません。「半纏の確保が大変で……」と言うのは、楽しみや誇りです。そして、祭りの夜は、それぞれの家で打ち上げです。

招待されてきた人たちは、ほぼ確実に「神輿中毒」になり、3年後にもやってきます。

広いリビングも確保して、担ぎに来てくれた人の着替えも接待も万全と考え、それを楽しみにしていたんだけど……。

次を首を長くして待つ事にします。
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by gskay | 2008-08-16 02:53 | いろいろ