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無意味な採用試験と無意味な採用取り消し
大分県の教育委員会の汚職に関連して採用を取り消された教員には、実は、その前年には合格点に達していたにも関わらず不正に不合格になっていた教員が含まれていたとのことです。

採用試験自体が不正なものだった以上、どうしても、正当な採用にこだわるのなら、採用試験全体をやり直すしかありません。しかし、それは現実的ではないし、意味もないと思います。

現行の試験が、教員の教育能力や教育効果と無関係な、無意味な試験だからです。そのどうでもいい試験を、厳格にしていこうというのは、無駄な努力だと思います。

その試験が、教員の能力を反映しているかどうか疑問である以上、細かい得点を検証しても、意味はないと思います。

大分の教員試験、不当減点で不合格は07年度23人 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


大分県教委は26日、2007年度小中学校教員採用試験で、合格圏内に入っていながら点数を不正に減点された人のうち、08年度の受験で実力で合格した人を除き、不合格とされた受験者が23人いたことを明らかにした。

 県教委は23人について、10月11日に特別試験(論文、面接)を行い、一定水準に達すれば来年4月1日付で採用する。現在、受験の意思確認を進めている。

 23人の中には08年度試験を受け、点数をかさ上げされて不正合格と見なされ、採用取り消しか自主退職となった人もいた。

 県教委はこの人数を明らかにしていないが、こうした人が特別試験を受験すれば、同様の措置を取る方針。
(2008年9月27日00時26分 読売新聞)

試験の中身を抜本的に見直さない限り、採用を正常化したとはいえないと思います。

現状で行うべき対応は、不当に不合格になった人への救済と、不正な合格が疑われる人の能力向上だと思います。

汚職の問題と、その舞台となった採用試験の問題では、対応が異なります。その区別が、まったくついていないことが、混乱の原因だと思います。

この採用取り消しの混乱は、耐震偽装で建物への使用禁止などの処分が曖昧な判断で行われたことと、酷似していると感じています。
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by gskay | 2008-09-28 01:39 | いろいろ
異なるバラマキからの選択
自民党新政権は財政出動による公共投資で経済を活性化するつもりのようです。対する民主党は、農家への補助や、子育てのための助成を考えているようです。どちらも、バラマキ型の政策だと思います。

民主党のバラマキの方が、家計に直接なので、消費に支出される可能性が高いように思われます。内需型の経済に移行するためのきっかけになるのではないかと思います。

一方で自民党のバラマキは、旧来の公共投資に依存した企業を助ける効果はあると思いますが、経済構造を転換する機会を逸することにつながるのではないかと思います。

インフラを整備する必要性が高いのであれば、旧来の公共投資を充実させようとする自民党の政策の方がいいと思います。しかし、今は、家計レベルの所得の格差が問題になっているので、民主党の主張の方がいいような気がします。

小泉改革に対する姿勢については、改革の負の側面の是正を目的とするのが民主党で、小泉改革を否定しようとするのが自民党のようにみえます。同じような方向性を打ち出しているように見えますが、小泉改革の延長に民主党があり、小泉改革以前の段階に自民党があるように思います。

自民党の政策では、従来の利権構造や、官僚制度を温存につながる点も気になります。小泉改革で負の側面がうまれたのは、負の側面への配慮が足りなかったからであり、利権や官僚制度に手をつけたからではないと思います。利権や官僚制度をよみがえらせようとする方向性を、私は望ましいとは思いません。

これまでの改革を継続して、財政支出を抑え続けることを望む人は多くはないようで、そういう選択肢は、現時点で無くなってしまいました。それでも、一定の支持はあるように思います。改革を続け財政支出を抑えるべきだと考えている人たちも、今回ばかりは、どちらのバラマキにすべきかを選ばなくてはいけません。もし、政党のしばりがなかったなら、どちらのバラマキを選ぶべきかは明らかなように思います。

一般の有権者にとってみれば、どちらもバラマキなので、似たようなものに見える気がします。また、どちらも同じように、財源の議論が充分ではないとされています。そうなると、選挙の空中戦としては、バラマキの中身で政策論争が行われるというより、どちらの政党が信用できるかとか、どちらの党首の方が好感度が高いかというレベルの争いになってしまいそうな気がします。

最終的には、ドブ板や組織固めという地道な選挙戦術が結果を決めることになるのだろうと思います。政策論争の選挙ではなく、候補者の選挙に対する底力次第の選挙になるような気がします。

ところで、自民党は、小泉時代にはじまって、安倍時代に進み、一つの方向性を軸にした政党になったかのように見えました。私は、民主党にさきがて、これを実現したのではないかと歓迎しました。政権交代があったとしても、確かな方向性があれば、政党として残って行くことができます。

しかし、このように大きく逆に舵をきることができるということは、それは幻だったということだと思います。与党という役割のまわりに政治家が集まっているだけの政党に戻ってしまったように思います。与党で無くなった時、自民党が政党として残ることができるかどうかは、不明だと思います。
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by gskay | 2008-09-27 06:52 | 政治と役所と業界
鶏口となるも、牛後となるなかれ
自民党の中の派閥やグループの中には、連立している公明党よりも大きな勢力をもつものがあります。一つや二つではありません。にもかかわらず、公明党の存在は、そうした派閥よりも大きな影響力を持っているように見えます。

今回の新首相の選出プロセスで、自民党内の結束が高まり、地方組織や支持団体などの基盤が強化されたのかどうかは疑問ですが、表面的には、一致団結しているようにみえます。この一致団結は、自民党の内部の意思よりも、連立与党である公明党の影響が強いように思われます。

二大政党による政治の確立が唱えられていますが、比例代表による小政党からの代表が選出される限り、連立を組まずに単独で政権を維持するのは難しく、小政党の影響力は絶大です。

加えて、小選挙区では2位3位連合による選挙協力が、しばしば1位を凌駕します。

有利な点は多いものの、連立をこえて合併となると話は別です。

合併した瞬間から、小政党は、単なる一派閥になってしまって、影響力を行使できなくなります。また、大政党の強い党議拘束が壁になります。小政党とっては、主義主張のこえてはならない一線をこえてまで、合併するべきではありません。

今後も、二大政党以外の規模の小さな政党の影響力が、政治を動かしていくことになると思います。

あまりに長く政権与党であるために、公明党は、あたかも、自民党の一派閥であるかのようになっています。しかし、派閥であったなら埋もれてしまってもおかしくない規模なのに、自民党の外にあるために絶大な影響力を持ち続けられるのは、独立した政党だからだと思います。

ところで、議会の中での影響力と、支持基盤とは別の課題です。今後も独立した政党を維持するためには、支持が離れないように配慮する必要があると思います。これは、自民党にも共通する悩みだと思われます。選挙協力の長期化は、政権の維持には都合がいいかもしれませんが、政党の維持には必ずしも好ましいものではありません。
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by gskay | 2008-09-25 00:54 | 政治と役所と業界
選挙対策
いかに、人々の関心を失わせるかが、総裁選挙の目的だったのかもしれません。

どうしも解散総選挙に持ち込むのであれば、連立与党としては、選挙が盛り上がらず、関心が高まらず、投票率が低くなることを期待することになると思います。できれば、投票日には大雨が降って欲しいと思っているのではないでしょうか?

郵政選挙では、与党は、争点を単純にし、メディアの大騒ぎを最大限に活用し、圧勝しました。今回は、そのような争点が今のところはありません。政権交代への期待で、関心が高まることも考えられますが、それは、与党にとっては不利。あの時のような勝ち方は不可能だと思われます。

自民党は、民主党批判を強めていますが、中身は、どっちもどっち。どっちでもいいとなれば、しめたもの。みんながどうでもいいと思ったところで選挙が行われれば、手堅く固められた票だけの勝負になります。選挙区への浸透については、民主党の候補たちは、充分ではないようで、与党にとっては、うまく逃げ切ることが、選挙戦略になると思います。

そういう点では、見事にしらけることに成功していると思います。

与野党の批判合戦も、明確な争点があるわけではないので、ますます、どうでもいいという空気が強くなるのではないかと思います。

郵政選挙では、メディアは、意図しないうちに自民党のメディア戦略に乗せられてしまったと言われています。今回も、今のところ、自民党のメディア戦略は見事です。

問題は、自民党議員内の足並みのように思われます。
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by gskay | 2008-09-24 00:28 | 政治と役所と業界
出来レースで、圧勝?
麻生新総裁は、昨年の福田前総裁、一昨年の安倍元総裁に比べて、議員票については、最少です。麻生新総裁は、議員票の6割を固めることができませんでした。ただし、地方票は、圧倒的です。

「圧倒的な支持を得て当選した」という表現は、不適切だと思います。もし、議員だけの投票で決まるシステムであったら、決戦投票になっていてもおかしくないくらいです。

地方票が圧倒的であったのは、選挙の方式の影響もあると思います。総取りかドント式かで結果が異なってくるからです。また、地方票で最も注意しなくてはいけないのは、投票総数だと思います。


時事ドットコム:地方票で「麻生雪崩」=投票率は振るわず−自民総裁選


22日投開票された自民党総裁選は、47都道府県連に各3票割り当てられた計141の地方票のうち、麻生太郎氏が95%に当たる134票を獲得、他の4候補を圧倒した。地方での「麻生人気」のすさまじさを見せ付けた形だ。しかし、各都道府県連で実施された党員・党友投票(予備選)の平均投票率は53.9%と振るわず、党全体としては次期衆院選へ不安も残した。
 今回、総裁が任期中に欠けた場合の総裁選としては初めて、全都道府県連で予備選が行われた。党員・党友参加のオープンな形で総裁選を盛り上げ、衆院選につなげる思惑からだ。
 しかし、平均投票率は最近の国政選挙を下回り、トップの島根ですら61.6%にとどまった。43.2%と最低だった長崎をはじめ7県連では5割を切り、麻生氏優位が早々と固まった選挙戦への関心の低さをうかがわせた。
 麻生氏は東京、愛知、大阪などの大都市部を含め、42都道府県連で各3票をさらった。ゼロ票だったのは鳥取のみで、麻生陣営では「130票を超えたのは予想以上」としている。一方、計386の国会議員票(無効票含む)は過半数を上回る217票を得たが、目標としていた230票には届かずじまい。陣営では、与謝野馨経済財政担当相と小池百合子元防衛相に一定程度の票が流れたとの見方が出ている。
 与謝野氏は徳島と高知で1票ずつ地方票を確保、議員票でも最低ラインとしていた50票を10票以上上回る64票を得て、2位となった。ただ、議員票については「もうちょっと伸びると思っていた」(与謝野陣営幹部)との声もあり、候補者乱立が影響した面もあるようだ。
 小池氏は、予備選で麻生氏に次ぐ7万4820票を集めながら、麻生氏との得票差が開きすぎたことや、16都県が採用した「総取り」方式が響き、地方票がただ1人ゼロに終わった。もっとも議員票では、石原伸晃元政調会長を上回る46票を確保。「小泉純一郎元首相が小池支持を表明した効果はあった」(若手)との指摘が出ている。
 石原氏は所属する山崎派や、東京都選出議員などから一定の支持を集め、議員票は36票を得た。ただ、予備選では地元の東京でも麻生氏に3倍の大差を付けられた。石破茂前防衛相は議員票が21票と最も少なかったが、地元の鳥取で3票を死守し、面目を保った。(了)
(2008/09/22-22:38)

引用の記事のように、「圧勝」の中身を分析すると、「圧勝」が必ずしも「圧勝」ではないのではないかと感じられます。

地方票で、「雪崩」となった理由は、選挙方式の問題に加え、投票率の低下が重要なようです。投票率の低下は、政党への支持率の低下と関連していると考えるべきではないかと思います。かつて、小泉元首相が橋本元首相を破った総裁選挙は、地方の支持が流れを変えたとされていますが、今回の地方票の結果を、それと同じように解釈することは困難です。

また、議員票が伸びていないという点については、政策についての話し合いが充分でないことが予想されます。話し合いを通じて、妥協点を見いだしながら、支持を固めて来たとはいえないように思います。

この選挙を通じて、党内の結束が固まったと考えるのは、数字の上からは、考えにくいと思います。

議員についても、地方についても、新総裁には安定した支持があると楽観できるような結果ではありません。
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by gskay | 2008-09-23 04:51
一気に政権交代?
次の自民党総裁は決まっていると言われています。しかし、あいにく、総裁選挙の勢いを解散総選挙に結びつけるという思惑は、現時点では、外れてしまっているように思います。このため、次期総裁は、首相に就任しても解散総選挙を行わない可能性があるとささやかれています。

解散総選挙が回避できるかどうかは、公明党がその方針を受け入れるかどうかだと思います。もし、その方針を公明党が受け入れないのに、回避を強行した場合、連立は解消になると思われます。その結果、衆議院の3分の2という勢力が維持できなくなり、法案の再可決が不可能になります。

これでは、予算を成立させても、関連する法案が成立しないので、政権として取り組めることが限られてしまいます。

その状況になってからの解散では、自民党の支持率はさらに低下していることに加え、公明党による支援を失っているので、きわめて不利な選挙をしなくてはならないことになります。

今のところ、公明党の姿勢が変わらない限り、解散総選挙を回避するのは困難だと思います。しかし、自民党議員にとって、この時期の解散総選挙が不利であることには変わりはなく、八方塞がりの状況です。

解散総選挙なしで連立政権を継続させる手だては、公明党が方針を変更することだけで、自民党には選択の余地はありません。そう考えると、公明党が方針を変更した場合をのぞき、いずれにせよ、現在の政権の枠組みは、これで終焉です。

神風がふくことを願ったり、努力が報われるはずだと信じる姿勢を貫く議員もいるかもしれませんが、終焉を回避できないのであれば、大抵の議員の関心は、次の政権の枠組みの構想と、それを実現するための手段に移るのではないかと思います。

次の政権の枠組みをてっとり早く作る方法は、自民党の分裂です。

総裁選挙で新総裁を支持した議員は離反することはないと思いますが、そうでない議員には離反の可能性があると思います。

自民党衆議院議員の約3分の1である100人の議員が、新総裁に投票しないという決断をすると、一気に政権交代となる可能性があります。

総裁選挙の勝敗は決まったといわれていますが、6割から7割の議員しか取りまとめていないようです。これは、確実に首相指名を受けるには、公明党の確実な支持があることを前提にしても、ギリギリです。

対立候補の推薦人だけで80人。ここには参議院議員もふくまれていますが、だとしても、油断できない人数です。

もし、新総裁が、自民党議員を取りまとめられなかった場合、公明党の態度も流動的になると思います。その場合、新総裁から離反する議員がさらに少なくても、政権交代には充分です。

八方塞がりが解決しない限り、思わぬ展開になる可能性はあると思います。

ただ、八方塞がりを誰も認識できなかったりすると、何も起こりはしません。また、本気で負けるが勝ちだと思っているかもしれません……。
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by gskay | 2008-09-20 14:50 | 政治と役所と業界
大臣の辞任
事故米・汚染米の事件に関連して、農水大臣が辞任したのは、大臣が己の立場をわきまえていなかったことへの報いだと思います。国民の代表という立場をそっちのけにして、官僚の代弁者になっていました。

何も問題がないときには、極端なことを言えば、誰でも大臣がつとまります。なぜなら、きりもりをしている官僚は、基本的には優秀な人たちだからです。しかし、何かが起こった時、真価が問われます。

異論はあるかもしれませんが、耐震偽装の時の北側国交大臣については、官僚が進めようとした方針に異議を唱えたとされています。所属政党によって偏見をもって見られることもあると思いますが、自らの外遊中になされた官僚の無責任な判断を、一喝して覆したとされています。

もしそれがなかったら、今や参議院議員をつとめている当時の佐藤次官は、今回の事件の農水次官のようになっていたかもしれません。技監も、住宅局長も落選したとはいえ、公職の選挙に挑戦するという立場にあります。

結局、己の立場をわきまえた大臣によって、国交省の官僚は重大な誤りを犯さずにすんだのではないかと思います。

これに対し、今回の農水大臣は、官僚の代弁以外の役割を果たすことができませんでした。

転売や検査での見逃しは、この大臣の責任ではないものの、大臣は、適切に対応しつつ、あらためて責任を背負う必要があります。しかし、この大臣は、その対応について、首相からの評価を得られなかったばかりか、事件発生の責任や、対応への責任を背負って辞任するというよりも、不適格であるから辞任するという意味合いの辞任になってしまいました。

これまで、大臣には、官僚の代弁者という意識が強かったと思います。省庁再編を行った橋本元首相でさえ、首相としては、そういう立場から発言しています。

しかし、小泉政権のころから、大臣の立場がようやく変わって来たのではないかと思います。辞任する農水大臣は、それを理解していなかったのだろうと思います。

政権末期とはいえ、福田首相が、思いがけず、画期的な決断をしているように思います。

今後、大臣と官僚と国会の関係が、さらに整理され、本来の形が実現することを期待しています。
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by gskay | 2008-09-20 03:10 | 政治と役所と業界
負けるが勝ち?
自民党も公明党も、わざと、負けるつもりなのかも知れません。

不利だとわかっている解散総選挙をして、衆議院における3分の2という議席数どころか、政権さえも失うことが予想されるのに、与党は、なぜ、急いで解散総選挙をめざすのか不思議です。個々の自民党議員にとっても、今の時期にあえて解散総選挙をするという総裁を選ぶのは、自らの議席を失うことにつながり、愚かなことのように思います。

しかし、これからの政治的な課題を考えると、自らは手をつけず、遠巻きにしていた方がいいのかもしれません。

あるいは、もっと積極的に、攻守を交代するのが有利と考えているのかもしれません。

財政再建も、景気対策も、辻褄のあう政策が提示されているわけではありません。

官僚システムは、持ちこたえることはできないところまできているように思います。

既得権益の清算も必要です。

こうした難題を解決する上で、与党でいることは不利です。

閣僚は、官僚の代弁者となっていて、国会を通じて国民に選ばれたという立場をとることができません。しかし、一旦、野に下ってしまえば、官僚の側にたって考えなくてはいけないという制約から解放されます。

政権交代によって誕生する閣僚は、これまでの政策との一貫性を、あまり重視する必要がありません。このため、官僚の代弁者ではなく、国民に選ばれた国会議員という立場から閣僚の仕事に取り組むことができます。そのような立場で新政権が行政にとりくむのであれば、批判する立場である前与党議員は、官僚と対峙することに、表面的には内閣と対立しながら、共同することができます。

一方で、政権交代したにもかかわらず、閣僚が官僚の代弁者をしているのであれば、これまでの問題を追及すれば良いということになります。その大臣の責任ではないことまで、現職の大臣が責任をとるという風潮を逆手に利用することができます。しかも、これまで与党であったので、相当に深いことまで熟知しており、それを材料に攻撃をすることができます。本来は自分達の問題であった問題を、相手に押し付けてしまうことができます。

どちらに転んでも、内閣と官僚の関係を整理し、内閣が主導する行政が確立する方向に進むと思います。

加えて、政権を失ってしまえば、利権とも手を切ることができます。利権と手を切ることが出来れば、財政再建や景気対策のために使える手だては大幅に増えます。

道州制の議論にしても、道路などの特定財源の問題にしても、しがらみがある限り、前進は望めません。

また、この不利な選挙は、自民党にとっては、世代交代のきっかけとなります。しがらみを背負ったベテラン議員が、不利をさとって引退したり、落選を機会に引退することになると思います。その結果、次の選挙では、全く新しい自民党になっている可能性があります。

一方で、公明党は、あまりに長い期間の連立のため、政権のキャスティングボードを握っているというよりも、自民党の一派閥のようになっています。これでは、独自性が失われ、存続が危ぶまれます。一旦、野に下ることは、あらためて政権のキャスティングボードを握るために必要であるとともに、自民党にとりこまれないためにも必要です。

そう考えると、個々の議員の意思はともかく、自民党も、公明党も、この選挙は負けるつもりで取り組んでいるのかもしれません。

ただ、個々の議員の議席に対するこだわりは、決して弱いとは思えません。自身にとって不利な解散総選挙が行われることを、すんなりと受け入れられるものなのか、疑問に思います。

解散総選挙を叫んでおきながら、一旦、総裁首相が決まると、内外の情勢や世論の動向によるという建前で方針は大きく転換される可能性もあるように思います。

あるいは、総裁には選ばれても、議員の足並みを揃えられずに首相に指名されないという可能性も残っていると思います。
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by gskay | 2008-09-19 13:12 | 政治と役所と業界
流通先業者の救済
「事故米」の流通先として公表された業者には、公的な支援や保護、補償を提供するべきだと思います。

農水省の対応は、耐震偽装の時の国交省の対応に比べても、滅茶苦茶だと思います。しかし、耐震偽装とは異なり、たとえ中途半端な段階の発表で、配慮不足で、弊害があったとしても、公表を不適切な事だとは思いません。

「事故米」の流通によって、それを最終的に食べた人に被害がでるかどうかはわかりませんが、注意を呼びかけることには意味があると思います。「事故米」では、対応が後手に回ると、薬害と同じような不作為による被害の拡大が起こりかねません。

その一方で、業者の損害を放置してはいけないと思います。

公表された業者には、街の和菓子屋のような規模の小さい業者も含まれています。こうした業者が、風評などによる損害に耐えられるような余力があるとは思えません。しかも、家庭と店が一体となっていることもあると思います。その場合、風評などの被害は、ただちに家族を窮地に追い込みます。

規模の大きな企業なら、多少の余力があり、訴訟によって損害を回復する事もできると思います。しかし、規模の小さい業者については、速やかな対応をしなければ、取り返しがつかなくなると思います。

間違っても、「安全宣言」のような、くだらないお墨付きで誤摩化そうとしてはいけません。検査や調査による公的お墨付きが、当てにはならないということも、この事件の背景にはあるのですから。

きちんとした経済的な対応をするべきだと思います。その負担は、最終的には、損害賠償などの形で、いずれかに請求することになると思いますが、必要なら、国が代位して、関係者の責任を追及するべきだと思います。

ひょっとすると、国が国に損害賠償を請求するような自体も想定されます。そうした大胆な取り組みが行えるなら、「消費者庁」構想に大きな意義を見いだせるような気がします。

ところで、耐震偽装では、公的な責任を考える上でも、公的な対応の主体を考える上でも、関係する当局が、国だけに限らず、特定行政庁をおく自治体や民間検査機関が含まれていました。関係者が複雑で、機関同士の調整が必要でした。

これに対し、「事故米」の事件は、国だけの問題です。

「事故米」の事件の被害への対応については、内閣が断固とした方針を出せば、その判断だけで、乗り越えることができるように思います。

政権末期とはいえ、薬害への対応に大きな足跡を残し、「消費者庁」構想を打ち出したという点で、画期的な取り組みをした内閣なので、果敢な判断を期待します。

……どっちみち不人気で退陣なのですから、周囲の評価は気にせず、最後にもうひとつ大きな仕事をしてもいいように思います。
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by gskay | 2008-09-19 04:23 | 安全と安心
理不尽な公的お墨付き
「事故米」の事件で、自殺者が出てしまいました。

耐震偽装でも、問題が明るみに出てしばらくしたところで、元建築士に構造設計を下請けに出していた建築士が自殺してしまったことを思い出しました。

世間では、良心の呵責によって自殺を選んだという解釈があるようです。真相を知っているのに隠す事が耐えられなかったのではないかという憶測もあります。影響の大きさに耐えられなかったのではないかとか、今後の会社のことや自分自身や家族の未来を悲観したのではないかという想像もあります。そういう様々な詮索がある事自体が、追いつめる要因なのかもしれません。

結局は、わかりません。

しかし、わからないとしても、人が亡くなるというのは大変なことです。まるで縁がなかった人の死でも、死の話をきくと、いろいろな感情や、いろいろな考えが湧いてきます。そして、何か理由を求めずにはおれません。

私は、この二つの自殺には、共通するところがあるように感じました。

ひとつは、玉突き事故に巻き込まれたような立場。

自分が引き起こした事故ではなく、巻き込まれただけですが、自分自身も止まることができずに前の車にぶつかってしまい、被害者であると同時に加害者です。もし、もっと注意していたら、被害者になることも、加害者になることも避けられたかもしれません。少なくとも前の車にぶつからないようにすれば、被害者を増やさずに済んだかもしれません。

根本的には、自分のしでかした事ではないのに、被害者としての苦しみだけでなく、加害者としての苦しみまで背負わなくてはいけない理不尽な状況に追い込まれていたと想像します。

次に、公的お墨付きが何の頼りにもならないどころか、手のひらをかえして、際限なく責めが行われること。

耐震偽装では、建築確認に通ったことで、設計は適法であり、大丈夫だと考え、疑ってはいなかったと思います。「事故米」の事件でも、農水省の検査が度々行われていることから、品質について大丈夫だと思っていたと思います。

ところが、建築確認も、農水省の検査も、全くあてにはならないものでした。しかも、一旦、基準を満たさないとなると、その基準を盾にした、執拗な追及が、公的なものに限らず、メディアなどからも浴びせられることになります。

おそらく多くの人が、公的な手続きによるお墨付きがついていれば大丈夫だろうと考え、自分で確かめることはないのではないかと思います。しかし、公的な手続きによって違反が指摘されていないからといって、我が国では、それは何の保証にもなりません。

保証になっていないどころか、むしろ、落とし穴のような仕組みになっています。

今まで従っていて、法規に反してはいないという安心は消え去り、逆に今まで従っていたつもりの仕組みによって追及を受けることになります。基準というものが作られている理念や根拠、安全率などは無視され、ただ違反という一点によって猛烈に責め立てられることになります。

その責めは、秩序をもったものにはほど遠く、行き当たりばったりです。加えて、公的なお墨付きに裏切られた理不尽さは、今まで何の疑いもなく全幅の信頼をよせてきたものが失われるだけでなく、全幅の信頼をよせてきたからこそ、どのような責めがどこまで行われるのかがわかりません。それが先行きを不透明にし、ただ恐れるしかなく、不安が増強することになるのではないかと思います。

私は、この公的お墨付きの理不尽さに不愉快な気持ちを感じています。

玉突き事故の当事者であることについては、損害にしろ賠償にしろ、無限ということはありません。しかし、公的なお墨付きについては、公的なものであるにもかかわらず、定めがはっきりしないため、際限がないのではないかという不安が生じます。さらに、それは、公的なものであるために逃れることはできないと感じられます。

もともと、公的お墨付きを疑っていれば、このように追い込まれることはないのかもしれません。私は、公的な権威と言っても、「絶対」ではなく、限界があると思っています。しかし、だからと言って、公的なお墨付きは疑ってかかるべきだと主張することには抵抗があります。

もし、基準の違反などへの対応がしっかりとしていたり、限界が明示されていたなら、このような理不尽さはなくなるのではないかと思います。そうした配慮が欠如したシステムであるために、このような悲劇を避けることができなくなっているのではないかと思います。

このような形で自殺をする人には、思い残すことが沢山あると思います。その一部は、公的な仕組みを適切に作り、節度をもって適切に運用することで、なくすことができるのではないかということに気付きました。
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by gskay | 2008-09-18 11:34 | 安全と安心