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施行認可の申請
再開発事業について、事務的な手続きが完了し、区への申請が行われたということです。所有者だけでなく、住宅ローンの金融機関などの同意も必要で、大変な仕事だったと思います。きちんとした事務局がないと、このような事業は、スタートラインにもつけないものだと思います。

いよいよ解体に入る前に、従前資産の算定方法を確定しなくてはなりません。これについては、いくつかの考え方があって、そのうちの2つが残っているので、それに決着をつけなくてはなりません。

自分に有利な算定方法が良いとは思いますが、これから背負う大きな負担を考えると、どんな算定方法をとっても、大差はないだろうと思っています。少なくとも、私自身にとっては。

正直な気持ちとしては、どっちでもいいのですが、決着をつけるためには、意思表明が必要です。二つの選択肢に加えて、「どちらも可」という選択肢を加えたら、「どちらも可」が最有力になってしまいそうな気がします。どういう方法が正当であるのかを、あらかじめ法律などで決まていれば、こんなことに悩まされずに済むだろうと思います。

様々な方法には、メリットもデメリットもあるので、ひとつに絞る必要はないものの、せめて、その方法に優先順位がついていれば、納得するのが簡単になると思います。事情にあわせて、優先順位に従って選んでいけばいいと思います。

多数決で決着するというやり方が、必ずしもなじまない問題だと思います。
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by gskay | 2008-10-26 05:48 | 建て直し
公務員改革への意気込み
現政権は、公務員改革の流れとは距離があるように思います。

安倍政権では、過激な官僚との対決路線がとられました。小泉改革の延長で、ひょっとしたら、うまく行ってしまう可能性もありましたが、そうは行きませんでした。

福田政権では、基本的には安倍路線のまま、対決の部分を緩めた形がとられました。手ぬるいという評価もあるようですが、着実な変化があったと思います。血液製剤によるC型肝炎への踏み込んだ対応や、事故米対応における農水省や農水大臣に厳しい対応は、制度の改革に劣らないインパクトがあったと思います。

時事ドットコム:衆院選に強い危機感=麻生人気「カプチーノの泡」−渡辺元行革相


衆院選に強い危機感=麻生人気「カプチーノの泡」−渡辺元行革相

 自民党の渡辺喜美元行政改革担当相は20日、大阪市内で開かれた内外情勢調査会の会合で講演し、「『霞が関の改革をやらないと(経済対策などの)財源は出ない。この際、民主党に任せたらどうだ』という声は全国にまん延している」と指摘した。その上で「自民党が改革は棚に上げて各省の寄せ集め政策でお茶を濁すということになると、次の選挙の結果は見えている」と述べ、次期衆院選に強い危機感を示した。
 渡辺氏は「自民党は(公務員改革などで)どうも先祖返りしていることを国民は察知している。それで思うように内閣支持率が伸びない」との見方を披露。麻生太郎首相についても「ほかの人の発言」と断った上で、「麻生人気はカプチーノの泡みたいなもの。最初はてんこ盛りだが、飲もうとすると、カップの底にへばりついて飲めない」と語った。 
 改革路線堅持の姿勢を明確に打ち出さなければ、支持率上昇は望めないとの認識を示したとみられる。(了)
(2008/10/20-17:08)

渡辺元行革相は、最前線で苦労したきた人物なので、現状を憂いているのだと思います。

渡辺元行革相自身は、「官僚との対決」という姿勢が強く、それで前進できた部分もあれば、そうでないような部分もあったと思います。福田政権で、バランスがとられことには、渡辺元行革相自身は不満かもしれませんが、大きな意義があったと思います。

「官僚との対決」が必要なのではなく、国会が官僚に対し優位に立ち、内閣が国会の代表として官僚と向き合う体制の確立こそが必要だったのではないかと思います。お互いの役割の確認が必要だったのだと思います。

「官僚との対決」で、官僚を否定したところで、それが自己目的化してしまうと、その対決の体制自体が「官僚化」して硬直化していしまいます。

また、「官僚との対決」に勝利しても、新たな官僚システムは必要で、それが、暴走してしまったら意味がありません。

今の官僚が、いかにダメかということを明らかにすることも必要だったかもしれませんが、官僚が本来いかに必要とされているかということも、同時に明らかにするべきだったように思います。その上で、国会や内閣と、官僚との関係を整備することが必要だったのだと思います。

現政権は、ここに問題が潜んでいるということに鈍感であるように思われます。思いもよらない好ましからざる方向に走り出してしまわないことを祈っています。

ところで、渡辺元行革相は、そうまで言うなら、政治的な立場をもっと鮮明にしてもいいのではないかと思います。政党に忠誠をつくして現政権を支えていくことが、自身の信念や、国に対して潔いことだとは限らないように思うのですが……。
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by gskay | 2008-10-22 12:45 | 政治と役所と業界
年内解散?
国内外の事情によって、予定されていた(?)解散・総選挙が延び延びになっているとのこと。選挙管理内閣といわれていましたが、選挙どころではないという説明になっています。

与党の足並みが乱れず、すんなりと新内閣が発足しました。このまま解散・総選挙を行わず、通常国会に突入し、来年度予算まで成立させてしまう可能性が高いと思います。

衆議院で過半数をおさえている限り、余程の事情がない限り、解散しなくてはいけない理由はありません。

ただ、選挙時期については、連立する公明党の意向も重要だといわれています。加えて、自民党の内部事情も複雑です。

年内の解散であれば、現在の政党の枠組みで選挙を行うことができます。

しかし、年越しとなると、1月1日までに政党を作れば政党助成の対象になるため、自民党や民主党は分裂する可能性があります。

自民党の分裂を防ぐてだてが不首尾であれば、年内解散の可能性は高まると思います。分裂してしまうと、分裂して議員数が減った分、交付金が減って不利になります。それを避けるためです。

ところで、新党結成の動きは、表面に出るようなものではありません。出た瞬間には、もう新党が確立しているか、潰れたかのどちらかです。ということは、年内に解散するような状況が発生するかどうかは、部外者には、現時点ではわかるわけがないというのが、本当のところだと思います。
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by gskay | 2008-10-20 12:12 | 政治と役所と業界
通貨の値段
株や資産の暴落は、通貨の価値が急激に上がっていることによる、相対的な暴落だと思います。企業の業績が悪化しているとか、資産価値が下がっているということではないと思います。少なくとも、今のところは……。

通貨の値段を、何らかの別の指標で表して、その指標で補正すれば、暴落といっても、通貨の価値以外は、何も変化してはいないのではないかと思います。通貨の価値が変動しただけだと思います。

これまで、貸し出しを増やし、それを金融商品にすることで、通貨がどんどんと増え、その分、通貨の価値が低下し、相対的に、株や資産の値段が、通貨に対して上がっているようにみえていただけだと思います。その上がり方を利用すれば儲けをだすことができました。また、金融機関には取引の手数料による儲けもあったと思います。

ところが、貸し出し先が無くなり、通貨の増加が無くなり、通貨が増えることを前提とした儲け話に穴があき、それが、一転して信用収縮の引き金となり、通貨が消えて行くという事態に混乱しています。

通貨が増えることを前提とした仕組みでは、これ以上、儲けることはできないというだけの話です。しかし、今まで儲けていた人が損失にうろたえているように思えます。通貨が減ることを前提として、儲けの方法を考えればいいだけだと思うのですが……。

金融によって通貨が供給される仕組みにしても、企業の会計にしても、法的に決められたルールに基づきます。ルールの正当性は、公的に決めたということ以上の根拠はなく、ルールを破れば処罰の対象になるかもしれませんが、ルールに従っていれば安全であるとか、正義であるということではないと思います。

ところで、「金融産業」という言葉がありますが、そもそも、金融を「産業」とみなすべきか疑問です。むしろ、「制度」と考えるべきなのではないかと思います。もともとは、銀行業や、金貸し業、金細工業から発展してきた営利的なものであったかもしれませんが、今の金融は、すっかり異質なものです。

金融は、経済の重要なインフラを提供していて、あらゆる経済活動に浸透しています。その仕組みが、営利目的の投機や投機の失敗によって、機能不全にならないようにしなければならないと思います。そのためには、投機から切り離すことができる金融の機能を、切り離すことが必要だと思います。金融が、通貨の価値を安定させるどころか、かえって不安定にする働きをしているのは、営利追及の投機のためだと思います。

ルーズベルトが大恐慌を克服した最大の武器は、公共投資ではなく、金本位制と訣別し、新たな金融システムを構築することで、新たな金融政策を可能にしたからだという説明をきいたことがあります。

おそらく、今は、そのような大胆な金融システムの見直しが必要になっているのだと思います。今回の金融危機は、金融システムのシステムエラーは、バグをとって、リセットすればすむのではなく、システムの根幹を作り直さなくてはならないと思います。

かつて、宗教や軍事、政府を営利活動から追放したように、金融を営利活動から追放するべき時期に来ているように思います。通貨の価値を変動させることが、金融機関の儲けとなり、投資家の儲けになるという仕組みに終止符を打つべき時だと思います。そうすれば、とりあえず、通貨までは追放しなくていいと思います。それができなければ、通貨は、ますます産業の実体から乖離し、むしろ足を引っ張る存在になってしまうと思います。

通貨の価値や富というものを、金融の営利活動から切り離すという、文明的な転換を迫られているように思います。

いざとなったら、これまでの「国の通貨」と決別することも不可能ではありません。ITの進歩により、通貨を介さなくても、物々交換の相場や市場を作ることや、あるいは、価値の指標を別に作ったり、代替えの通貨を流通させ、為替で処理をすることもできると思います。ただし、面倒で、コストがかかり、また、金融業者のかわりを、当初は、商社が行うだけで、現行の通貨に比べたメリットは少ないようには思います。そんなことをするべきかどうかは、提供される便宜次第だと思います。

さしあたっては、安定した「制度」として金融を整え、金融機関を営利から切り離し、通貨の価値の変動を金融機関自身の営利目的の投機の対象にできないようにすることが必要だと思います。
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by gskay | 2008-10-13 08:03 | いろいろ
基準のあてはめかた
同じ基準を当てはめるにしても、建物を作るプロセスにあてはめるやりかたと、出来てしまっている建物にあてはめるやりかたが、同じである必要はなかったと思います。基準の当てはめ方に無理があったために、耐震偽装の発覚後の対応がギクシャクしたのだと思います。法が想定していない出来事に対し、拙速に過剰に対応し、損害を増やしました。

一方で、そのことについては、一向に反省がされておらず、法の改正でも、全く配慮されませんでした。改正後の法律は、建物を作るプロセスでの手続きを煩雑にし、負担を増やしただけで、安全や安心には寄与していません。すでに出来てしまっている建物への対応方針は、想定外のままです。

ところで、欠陥住宅問題の中で、耐震偽装のユニークな点は、建物の欠陥による「実害」が出ていない事です。多くの欠陥住宅は、実害が出ているにもかかわらず、適切に対応されていないことが問題です。これに対し、耐震偽装では、通常の生活には不都合はありませんが、「違法」ということで、過剰な対応が行われ、その対応が損害を生んでいます。

地震での倒壊の「可能性」だけでは、実害ではありません。倒壊しないというシュミレーションが示されていないということであって、倒壊して実害をもたらすかどうかは別の問題です。「違法」という問題はあっても、まだ実害は生まれておらず、損害という実害が生まれたのは、公的な判断や処分、手続きがなされてからです。

これは、とても特殊な出来事だったと思います。災害が発生してからでは遅いとはいえ、それが損害の発生の免罪符にはならないと思います。他にも対応の方法があったからです。

今でも、あの時、特定行政庁は使用禁止命令を出さない判断ができたのではないかと思っています。既存不適格と同等に扱っても良かったのではないかと、ずっと考えています。

使用禁止の処分は、耐震強度が足りない既存不適格の古い建物と比べたときに不公平で、使用禁止命令がでた耐震偽装の建物からみても、古い建物からみても、不満が出る対応です。

使用禁止命令が出てしまってからの手続きについては、どのマンションも処分に不服を申し立ててはいないと思うので、適切だとは思います。ただ、もし、倒壊しないというシュミレーションを出して、耐震強度の計算値を適法な水準にすることができれば、使用禁止命令をくつがえすこともできたと思います。しかし、当時は、もっと低い数値を算出してしまって、あわてていたのがほとんどではないかと思います。数値の技術的な評価について誤解していたように思います。

うちのマンションでは、区からの使用禁止命令は異なる意義を求めて出されたと説明されているので、これには納得しています。しかし、他の物件では、そうではなかったと思います。なぜ、あの時、あのような過剰な処分や対応が考えられ、受け入れられたのか、よくわかりません。それが、今は改まっているかといえば、それも疑問です。

出来てしまっている建物に、建築基準法への違反が発覚した場合、その違反の原因を作った関係者の処罰は厳格に例外無く行うべきだと思います。

しかし、出来てしまっている建物については、通常の使用で危険があるわけではないなら、不適格ではあるものの、適切な是正方法を模索する余地が必要だったと思います。

存在してはいけない建物で、存在が望ましくない建物かもしれませんが、すでに存在してしまっているという点を重視して考えるべきだったと思います。その建物が出現する経緯には、公的な建築確認や検査が行われていたという事実も無視してはいけないと思います。

既存不適格とみなされるケースなら、不適格となった経緯はともかく、耐震強度がいくら低くても、それだけで使用禁止命令が下されるようなことはないと思われます。公共的な建物でさえ、耐震強度が低いまま使われていることが少なくありません。そのような事情を考えて現実的な対応を考えていたなら、全く異なる対応があったと思います。

不安をあおるような言説がまかり通っていたことが背景にあり、冷静に反省したところで、無意味かもしれません。しかし、その後の法律の改正においても、基準の意味を改めて問い直すようなことはありませんでした。

基準の適用の方法次第では、損害が生まれてしまうという状況を想定していなかったことを反省し、その対応を法律の改正では盛り込むべきだったのではないかと、今になって、残念に感じます。

今は、金融危機によってかすんでしまっていますが、もう1年以上も、我が国の建築は、法改正でもたらされた不適切なシステムによる停滞が続いています。抜本的には、何も前進していないと思います。

一方で、不安をあおるような言説がまかり通る風潮も変わってはいないように思います。法律改正は、そこに一石を投ずるチャンスでもありました。

ものの見方を根本的に変えることができるような機会を逃してしまっていたことを残念に感じています。
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by gskay | 2008-10-11 00:00 | 公的対応
大臣認定プログラムの欠陥への対処の不作為
国を相手取った裁判がはじまると、何もかも国の責任なのかという極端な疑問を出して反発する人が大勢居ます。少なくとも、今回の住民の提訴は、問題を限定しているようなので、何もかも国の責任だとは考えていないはずですが、そんなことを聞く耳はないようです。

国が与えたお墨付きに問題があった場合、国は直ちに対処しなくてはいけません。その対処を怠ったばかりに損害を拡大してしまいました。

耐震偽装に関連して直ちに対処しなければいけなかったのは、大臣認定プログラムの脆弱性と、大臣認定プログラムを用いた場合の確認手続きのありかたです。最初に問題が指摘されたときに、きちんと対応していれば、その後の被害の増加は防ぐことができたはずです。

これは、イーホームズの藤田社長が当初から主張していることです。

はじめから完璧な大臣認定プログラムができれば、それにこしたことはありませんが、そうでない以上、欠陥に充分に注意していなければいけません。欠陥に適切に対応すれば、被害は最小限におさえることができます。逆に、直ちに対処しなければ、影響が拡大してしまいます。これは、薬害における国の役割と同じです。

それをする気がないのなら、国は、大臣認定プログラムなどというものを作ったり、お墨付きをあたえたり、審査の手順の規定を作ったりしてはいけません。

耐震偽装と、建築確認の民間解放とは関係ないと思います。規制緩和の弊害でもありません。そんな大きな問題ではなく、大臣認定プログラムを巡る重大な問題を軽視し見過ごしてしまったという不作為が被害を拡大してしまった問題です。

ところで、イーホームズも被告になっている点は、この裁判の結果を左右するカギだと思います。イーホームズは、国の主張の側にはつかないと思います。大臣認定プログラムや確認手続きの問題点を指摘し、イーホームズの責任について反論すると思いますが、それは、原告に反論するというより、国の責任を追及するということにつながると思います。
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by gskay | 2008-10-10 01:57 | 損害と回復
不正発覚はいつだったのか?(住民による提訴についての続き)
ケンプラッツの記事が、住民による提訴を詳しく取り上げています。欠陥住宅の裁判というよりも、行政の不適切な対応を追及する裁判になるようです。昨今の情勢を考えると適切な方針だと思います。


【構造計算書偽造事件】マンション住民57人、建て替え費用などを求めて国を初提訴|ケンプラッツ



「佐々木 大輔[日経アーキテクチュア]」の署名のあるこの記事は、欠陥住宅が蔓延していることを漫然と憂うような記事ではなく、ポイントを的確についているように思います。建築・建設が専門のはずですが、そのレベルをこえていると思います。

導入的な部分に続いて、「偽装が容易な構造計算プログラム」の問題点の発覚が、いつにさかのぼることができるかを明らかにしています。「2002年9月に別の指定確認検査機関に不正が発覚」というのを、その時期だとしています。

耐震偽装が発覚し公表されたのは、2005年11月ということになっていますが、それ以前に、すでに問題は指摘されていました。にもかかわらず、国は、それに対応しませんでした。もし、その時点で適切に対応していたなら、それ以後の耐震偽装は発生しなかったはずです。

また、事件をうけて、「『法改正を行うということは、その不備と自らの過失を認めたということではないかと思わざるを得ない』」と指摘する一方で、「『本件事件は、国交省が建築士による安全確保の仕組みが完全に機能していない実態を知りながら漫然とこれを傍観した』」ことを問題としてとりあげています。

これは、行政の不作為を指摘する論理であり、追及のポイントとして的確だと思います。

しかし、同時に、「『行政の確認・検査業務を民間に開放して自らに課せられた責務を放棄したところに最大の原因』」と主張しているところには、疑問を感じます。そこは、行政の不作為の舞台にすぎません。追及のポイントがぶれてしまうのではないかと思います。

耐震偽装の構造計算書偽造は、民間検査機関でだけで見逃されたわけではなく、もともとは特定行政庁で見逃されたの始まりです。その点にも反するので、不適切な主張だと思います。異なる思惑が混入してしまっているように思います。

国土交通省建築指導課長のコメントは、「『事件を巡っては、居住者の安全と生活安定のため、補助などの形で支援してきた。確認検査機関の監督など、法的責任を問われるような法の執行はしていないと考えている』」ということですが、従来なら、不適切な法の執行さえなければ、行政が責任を問われるようなことはなかったかもしれません。しかし、以前とは異なり、行政といえども、適切な対処をしてこなかったことが問題になり、責任を問われるようになっています。

耐震偽装については、様々な切り口があると思いますが、行政、とりわけ国を相手取った裁判では、最初の不正発覚にさかのぼって行政の責任を追及する方針は、適切だと思われます。

弁護団の発想には、違和感を感じる部分もありましたが、この記事を読む限り、なかなかだと見直しています。

ところで,昨日のエントリに引用した読売新聞の記事ですが、「『国土交通省は02年ごろには、他の検査機関に関する不正の情報をつかんでいたのに、イーホームズなどへの立ち入り検査を怠った』と国の過失を……」と報じて、他の一般紙に比べれば、深く掘り下げていると思うのですが、よくわからない内容になっているのが残念です。
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by gskay | 2008-10-08 12:30 | 損害と回復
住民による国への提訴
私のマンションでは、裁判を行うという話はありません。自治体による最大限の配慮のもと、まだまだ調整しなくてはいけないことがたくさんあるようですが、建て替え事業は着実に進んでいます。

耐震偽装という問題が発生した経緯や責任の有無の追及は切り離し、その後の対応だけを考えれば、建て替え事業が最大の関心です。それが頓挫しているのなら、訴訟も辞さない覚悟はあります。しかし、幸いにして、その必要は感じていません。

国や自治体などを相手取った住民による裁判が提訴されたということですが、提訴したのは、住民の強い意志によって、早い時期から建て替えに取り組んだマンションです。建て替えを速やかに行うことで負担を最小限にするとともに、損害の回復や費用負担についての追及は、建て替えの後にじっくりと取り組むという方針だったのだと想像しています。その取り組みに決着がついていないのであれば、時効を考慮し、この時期に提訴する必要があります。

行政の不適切な手続きが、不作為や恣意的な裁量と判断されるケースが増えているように思います。権限にともなう責任が法令には明記されていないことが多いものの、裁判所が司法の論理で判断すれば、しかるべき判断が下されると思います。

ただ、行政を統治と考え、司法を行政による統治の一部を分権したものと考える裁判官も多いと思うので、簡単には好ましい判断を得るのは難しいと思います。加えて、法律は、責任が明記されていないどころか、公的な権限に責任が及ばないような工夫までされていますし……。


耐震偽装の姉歯マンション、住民が国などに10億円損賠提訴(読売新聞) - Yahoo!ニュース


10月6日21時57分配信 読売新聞

 耐震強度が偽装された2つの分譲マンションの住民が、国と自治体、指定確認検査機関イーホームズ(廃業)に建て替え費用や慰謝料など計約10億4500万円の損害賠償を求める訴訟を6日、東京地裁に起こした。

 耐震偽装を巡る訴訟で、国を訴えたのは初めて。

 訴えたのは、「グランドステージ(GS)千歳烏山」(東京都世田谷区)と「GS溝の口」(川崎市)の住民38世帯57人。

 訴状によると、原告らは2002年〜04年、元1級建築士・姉歯秀次受刑者(51)が構造計算を行い、ヒューザー(破産)が販売したこれらのマンションを約4000万〜6000万円で購入した。しかし、05年11月の耐震偽装問題発覚で、いずれも解体の対象となり、住宅ローン以外に、建て替え費用約2000万円の追加負担を強いられたという。

 訴状では、「国は偽装が容易な構造計算プログラムを認定し、確認検査機関の監督も不十分だった」と主張。

 「国土交通省は02年ごろには、他の検査機関に関する不正の情報をつかんでいたのに、イーホームズなどへの立ち入り検査を怠った」と国の過失を指摘している。

 提訴後、東京・霞が関の弁護士会館で記者会見した原告の西川智さん(38)は「国は建築確認の民間開放を進めたが、経済効率を優先するずさんな検査がまかり通り、いくつもの欠陥住宅が生み出された。国民の安全を守る義務を放棄した責任は重い」と話した。

 井上俊之・国交省建築指導課長の話「確認検査機関の監督などは適正に行っており、法的責任はないと考えている」


大した問題ではありませんが、国を訴えると、自己責任論が再燃する可能性もあると思います。国を訴えるということだけで、過剰な批判を浴びることなりかねませんが、おそらく、中身はともないません。そのような雑音には影響されずに、頑張って欲しいと思います。

耐震偽装における自己責任論につきものの「安物買いの銭失い」説は、今でも根強いと思います。そもそもの「安物」説は実態に基づくものではなく、イメージ操作による虚構です。しかし、体力がないデベロッパーから購入したために、ややこしいことになっているのは事実です。

このややこしい状況は、自分の責任で克服しなくてはいけません。克服には様々な方法があります。何もせず、甘んじて被害に耐えるという方法もあります。徹底的に納得するまで交渉を続けるという方法もあります。国を訴えるという選択も、様々な選択肢の中のひとつであり、訴えた住民は、自らの責任で選んだものだと思います。訴えた住民が自らの責任を放棄し、国に責任転嫁しようとしているという非難は見当違いです。

耐震偽装が発生してしまった背景は、おおむね解明されています。そこに国の関与があります。ただし、法律は、その行為の責任を明記していないので、どのような責任を負うべきか明確ではありません。それが、「井上俊之・国交省建築指導課長の話『確認検査機関の監督などは適正に行っており、法的責任はないと考えている』」という発言につながっていると思います。

これまでは、不作為にしろ、恣意的な裁量にしろ、行政を裁くのは難しいことでした。最近は、言い逃れが許されない事例が増えています。耐震偽装がそのような事例にあたるかどうかはわかりません。しかし、それが明らかでないからこそ、裁判で決着をつける必要があるのだと思われます。

ところで、弁護団がどのように考えているかわかりませんが、一点だけでも住民の請求が認められれば充分だと思います。行政が費用を負担するための何らかの根拠が得られればいいのですから。

裁判を通じて、日本中に蔓延する欠陥住宅問題の解決に貢献しようなどとは思わない事が大切だと思います。広く問題を扱うのではなく、勝てるポイントだけで勝負し勝つ事が本当の前進であり、問題解決への貢献です。

うまくいけば、高裁までで決着すると思います。情勢が不利になると、当局は最高裁の判断を避けると思います。最高裁の判断は、当局を拘束することになるからです。

「国は建築確認の民間開放を進めたが、経済効率を優先するずさんな検査がまかり通り、いくつもの欠陥住宅が生み出された。国民の安全を守る義務を放棄した責任は重い」という問題意識は、そうかもしれません。しかし、それを明らかして正義を貫くための裁判ではなく、請求した費用や慰謝料を獲得するための裁判として頑張って欲しいと思います。

正義を確認するためだけの裁判などありえません。被害の回復のためだと割り切って裁判を行うべきだと思います。裁判にとっては、正義は、請求を勝ち取るための道具に過ぎないと思います。判決によって正義が確認されるかもしれませんが、本末が転倒することがないようにしっかりと頑張って欲しいと思います。

ところで、ヒューザーも、国や自治体を相手取った訴訟を起こしていて、取り下げられたという話はきいていないので、破産管財人がその裁判を続けていると思います。その裁判の一部は、今回の住民からの訴訟と重複するように思います。その部分が住民の訴訟に移されることになるのか、一緒に裁判をするのかわかりません。

ヒューザーや住民が裁判に勝った場合、自ら訴えている住民は、自分たちが請求して認められた分については、全てを得ることができます。これに対し、訴えていない住民は、ヒューザーの破産財団からの配当になるので、ヒューザーが勝ったとしても、他の債権者への配当にもまわされてしまうので、受け取れる額は小さくなることと思います。そういう点でも、住民が自ら訴え出ることには意義があります。

住民と住民側の弁護団が、どのような方針で臨むのかわかりません。ヒューザーの破産管財人の裁判も時間がかかっているように思われます。同じように時間がかかり過ぎると訴訟を維持するだけで大きな負担になります。的確に裁判が進めることが大切だと思います。

訴訟をめぐっては、メリットやデメリット、リスクをどのように評価するか、それぞれの事情で異なります。全ての住民が自ら裁判に訴えるという状況にはならないだろうと思います。
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by gskay | 2008-10-07 05:45 | 損害と回復
『ウォール街』
金融危機と関係させて放送しているのかどうかわかりませんが、『ウォール街』という映画の放送を観ました。1987年に公開された映画で、1985年の出来事という設定です。

この映画は、インサイダー取引やスパイ活動という違法行為と、利益目当ての企業買収と解体という二つをとりあげた映画で、資本主義や市場の自由の行き過ぎと弊害を描いていると思います。映画の最後は、違法行為が摘発されます。行き過ぎの取り締まりが行われ、正義と秩序が政府の手で保たれた形で幕を閉じます。

この当時と今の金融危機とを比べると、かなり事情が異なっているように思います。

『ウォール街』が描いたのは、ゼロサムの世界で、誰かが得をする一方で、誰かが損をするという状況です。富裕層が富を独占する一方で、富裕層同士も熾烈な戦いを繰り広げています。また、利益を上げるための違法な行為を政府が取り締まることが可能でした。

これに対し、今の金融バブルと金融危機は、「ねずみ講」と「錬金術」が組み合わさっています。実物を担保にしたローン貸し出しを元に、金融資産が増え続けるという前提が「ねずみ講」。一方、預金やローン貸し出しを元となる資産として「信用」を拡大しつつ、それを金融商品へと再構成し、それを資産とみなして「信用」をさらに拡大していくのが「錬金術」。そのプロセスを続けることで、金融関係の人々に高額の報酬がもたらされました。

この「ねずみ講」と「錬金術」を可能にしたのは、金融機関を取り締まるべき法律や会計の規則だと思います。規則の範囲のギリギリまで徹底的に「信用」を創出し、それを拡大し続けてきただけだと思います。

しかし、「ねずみ講」が無限に続く訳ではなく、実物を担保にした貸し出しの無限の成長が不可能になった時、「信用」の創出がにぶりました。「信用」の拡大が止まっただけですが、「拡大」をあてにしていた仕組みに穴があき、それによって資金の流れが滞り、損失を避けられなくなり、一転して、「信用」が収縮してしまう方向に進んでいるとされています。

これに対し、アメリカは公的資金を用いることを決めました。金融機関の損失が、預金などを損なうことを防ぐ必要はあると思います。また、実物を扱う事業の決済が金融機関の都合で滞ることも避ける必要があります。短期的には、適当な方針だとは思います。

ところで、今回の出来事は、『ウォール街』とは異なり、不正な会計でもない限り、関係者が罰せられるということはないと思います。そのような「悪」は存在しないと思います。

「ねずみ講」が無限に続くと信じて経営をしていた人は、経営の失敗者として退場するだけだと思います。その経営者も、「錬金術」からの圧力がなければ、そのような経営をしなかったのではないかと思います。

大きな損失を作ってしまった「錬金術」師も、単に失敗しただけです。その「錬金術」を可能にしたのは、国が決めたルール自体にあり、「錬金術」自体が悪ではありません。このため、国や政府は、経営の責任を追及するという立場ではありません。それを追及できるのは、損失を被る投資家や債権者だけだと思います。

政府ができることは、「錬金術」の失敗が、預金や決済に悪影響が出ないように、金融機関の事業の切り離しを進めることだけだと思います。「錬金術」の部分とそうでない部分を区別するのは困難なので、公的資金の投入は避けられないと思いますが、不良債権の多くは、金融商品にすぎません。

日本の土地バブルとその崩壊では、土地の取引が不活発になり経済に支障が生じたからこそ、公的資金の投入に意味があったと思います。しかし、アメリカの金融バブルの場合、不良債権は、金融資産という帳簿上の資産にすぎないのではないかと思います。それを解決する方法は、関係者が相対で決着をつけるか、徳政令くらいしかないように思います。

国が定めたルールに基づく「錬金術」の破綻を、公的資金によって繕うというやり方は、少なくとも、「錬金術」をやめるという意思表示ではないのだと感じています。

『ウォール街』で描かれた違法行為に比べ、現在の金融危機の方が、「行き過ぎ」ているように思います。違法ではないかもしれませんが、適当だとは思えません。このまま続けるという選択もあると思いますが、金融システムを抜本的に見直すという選択肢もあると思います。
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by gskay | 2008-10-06 00:56 | いろいろ
「超激安マンション」
マンションの値段の相当な部分が土地代です。その土地は、一戸建てとは違って自由になるものではないので、借地でも構わないような気がします。借地料については、所有に比べて、負担が大きくなるのか、小さくなるのかわかりません。

品川の「超激安マンション」については、全く知りませんでした。耐震偽装のおかげで、建て替え以外、考える余地がありません。そうでなければ、少なからず関心を持ったと思います。ただ、希望の地域ではないので、購入したいとまでは思わないとは思いますが……。


品川駅まで徒歩10分新築マンション 2千万円台もある「驚愕価格」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース



この記事によれば、「採算を度外視したような「異常」な安値に、ある不動産関係者は「これはあくまで例外物件。市場への影響もあまりないのではないか」とみている。」とのこと。不動産業者からの視点のようです。

採算度外視ではなく、根本的なビジネスモデルが異なっていると考えるべきだと思います。


東京都が「超激安マンション」の波紋(月刊FACTA) - Yahoo!ニュース



こちらの記事は、「『良質な住宅を低廉な価格で供給しよう』」とか、「『戸建住宅価格引き下げの実証実験』」という東京都の当局の説明をとりあげています。

しかし、「とばっちりを受けたのは、他のデベロッパーや中古物件を扱う仲介業者だ。ある中堅業者は「7月以降、成約はおろか、引き合いもパッタリ止まった」とこぼす。」とか、「シティタワー品川の抽選は9月5日にあったが、外れた人の行動にも影響を及ぼすだろう。ひとたびこれほど安いマンションを見てしまうと、他の物件はいかにも割高に映る。関係者の一人は「不動産価格暴落の引き金を引いたかもしれない」と話す。」という業者の立場からの意見を紹介し、「東京都のバラマキ行政ここに極まれり」としています。

どちらの記事も、このマンションの存在を否定的に紹介しているように感じました。

土地の所有権の有無とか、借地料負担という点を考えると、得なのか損なのかは、わからないと思います。定期借地のメリットとデメリットを考えて価格が決定されていると思います。最初の費用が少ないからといって「激安」とはいいきれません。「激安」というのは、適当ではないように思います。

もし最初の費用だけが基準なら、賃貸マンションが一番安いので、人気を独占してもよさそうですが、そうではありません。それと同じように、定期借地が、人気を独占することは考えにくいと思います。定期借地を前提とした取引は、今後、増えるかもしれません。しかし、これからも、土地の区分所有をあわせた従来の取引は行われていくと思います。

価格破壊であるかどうかや、「不動産価格暴落の引き金」になるかどうかは、同じビジネスモデルの中で成り立つ議論だと思います。比較は不可能です。

定期借地という選択肢が増えたにすぎず、不動産業者は、定期借地を前提としたビジネスモデルにも進出すればよいだけのことだと思います。

また、「東京都のバラマキ行政」という表現に疑問を感じました。借地料は東京都に入るので、バラマキというよりも、堅実な事業だと思います。今後、老朽化した公営住宅が、このような方法で再開発されるのだとしたら、歓迎すべきではないかと思います。また、100平方メートルをこえた物件があることも、住環境を良くするために意味があるとりくみだと思います。

「激安」のからくりは、全然、おどろくに値しないと思いました。一方で、それに否定的な記事に疑問を感じました。従来からの不動産業者にすりよって、わざわざ、ゴチャゴチャにして混乱させるように意図しているのではないかと感じました。

ところで、我が家では、定期借地の物件は、後々に費用がかかることになりかねないし、その時、面倒なことになりそうだからやめておこうという話になっていました。にもかかかわらず、もっと面倒なことになってしまいました……。
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by gskay | 2008-10-05 08:42 | マンション暮らし