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「あるある」騒動
そういう番組が作られたのは単純に許しがたいと思います。「科学をなめるな」と言いたいところです。というより、むしろ、「科学では、そんなことまでわからない」と白状すべきかも。

科学に対する無理解が、メディアが流すエセ科学に対する無批判な「信仰」を作っているように思います。その一方で、まともな科学に対しては、無関心であったり拒否的。

「あるある」の納豆騒動では、メディアの主張のサポートにエセ科学が用いられました。一方、耐震偽装や不二家の「消費期限・賞味期限」騒動では、ネガティブな他者へのバッシングに用いられました。

ポジティブなイメージを演出するために用いたウソやデタラメがバレた場合は、とりあえず、虚構を作った人たちは、ねつ造を責められるようです。

一方、ネガティブな他者へのバッシングのためのウソやデタラメの場合、苛烈なバッシングの後は、安全や安心を損なったまま、時間とともに風化してしまうようで、バレる事も少なく、お咎めはないように思われます。

どちらも、ウソやデタラメであることに変わりはなく、科学的な根拠や理性的な判断をないがしろにしている点では共通しているように思われます。いずれも、誤解や偏見をうみ、悪影響を残すものです。しかし、メディアが一次的な当事者である場合と、二次的な批判者である場合とでは扱いが異なるようです。

耐震偽装でも、不二家騒動でも、科学的観点からの本当の危険性は明らかにはなっていないと思います。

耐震性能の真の評価はわからないまま、当時は、不思議な専門家が登場していました。藤田さんの著書でも、批判的に取り上げられていました。

一方、不二家騒動においては、消費期限や賞味期限が親しみやすい指標であったためか、食品の安全の専門家はあまりメディアに登場しなかったように思います。おそらく、専門家にとって、安全や安心について、メディアに歓迎されるような発言をするのが難しい問題だったのではないかと思います。

また、不二家の問題は、材料の品質の管理の問題であって、製品の品質が保たれれば良い問題ではないかと思います。消費期限も賞味期限も、独自の品質チェックができない消費者への指標であり、加工のための材料として用いようとする二次的な生産者を拘束するような指標だったのでしょうか?

不二家は、他に、自ら定めた「期限」を誤摩化すというような信頼を裏切ることをしていたことは許し難いことですが、発覚の発端である材料の期限問題に限って言えば、私には、悪いとされている部分の意味がわかりません。

真に科学的であろうとすると、メディアには歓迎されないように思います。大抵の問題が、そんなにセンセーショナルな問題ではなくなってしまいます。問題の重大性については、科学的な評価とは別の価値によって示されなくてはならないものではないかと思います。例えば、法令遵守であるとか、信頼であるとか、経済性とか。

ところで、「あるある」については、放送局の経営陣や職員などへの厳しい批判が出ているようです。放送を司る大臣は、厳しい処分を求めているようです。

放送は、免許による事業であるので、公的な処分があることは仕方がないことだと思います。しかし、企業の内部の処分に口を出すことには疑問です。放送するという免許を停止するような処分を、適切な手順をもって実施すべきだと思います。

大臣のコメントでは、世間を納得させれば、手続きを超越した処分でも良いということなのでしょうか。このコメント自体が、メディアを通して聞いているに過ぎないだけに、どのように考えたら良いのかわかりません。

明示されたルールに基づく、正当な処分が望ましいと思います。
by gskay | 2007-01-24 22:48 | メディアの狂騒