負担や苦痛と責任
無駄なものは、いくら積み重ねても無駄です。無意味なものは無意味で、無効なものは無効です。無理なものは、無理。
「審査が緩やかだった」ということについては、そういう側面もあるかもしれませんが、それよりも既存の方式の限界をこえていて、抜本的に見直さなくてはいけないはずでした。 しかし、結局、既存の方式にしがみつき、負担を増やして頑張ることになってしまいました。見当違いな負担と苦痛を強いられています。 スポーツのトレーニングでは、適切で効果的なトレーニングを取り入れることが必要です。なのに、うまく行かなかったからと、同じトレーニングを増やしただけでは、次もダメです。単なる自己満足で、むしろ、故障の原因になります。せいぜい、お仕置きの意味しかありません。 苦痛の先に、希望があればいいのですが、ダメなものはダメでしょう。 むしろ、無駄な苦痛を取り除く工夫こそ必要です。
引用の記事では、審査の緩やかさが問題だったとしていますが、問題は、方式の陳腐化にあります。陳腐になった方式を積み重ねても解決にはつながりません。単に負担が増え、無駄なコストを上昇させるだけです。 この無駄なコストを、「安かろう悪かろう」への反省にこじつけて、無理矢理肯定しようという意見もあるようですが、それは間違いです。 また、責任は、明確になっていません。これは、大臣の勘違いです。 負担を増やしただけで、責任は明らかになっていません。むしろ、責任を明記せず、関与する関係者を増やしただけです。より責任が不明確になったことが明確になっています。 結果として、問題が発生しなければ、責任問題も発生しないでしょう。そうであれば、責任が曖昧であることは問題にならずにすみます。しかし、このやり方に、それは期待できません。 責任については、司法の判断が法律の曖昧さを少しづつ埋めているのが現状です。 負担や苦痛が増えると、何となく頑張っているように感じて、好意的な評価をしてしまいがちです。また、それに口をはさむことが、はばかられることもあります。しかし、目標を見失った無責任な体制が惰性で続いてるだけということがしばしばです。
by gskay
| 2007-10-10 20:58
| 揺れる システム
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耐震偽装発覚から、5年。建て替えが再開発事業としてすすめられています。
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