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強制的に起訴されることになった与党の元代表は、国会で証言するべきです。
話題は、「政治とカネ」にとどまらず、検察のあり方や、検察審査会という制度がかかえる問題に及ぶと思います。 検察審査会は、政治家に大きなダメージを与えることができる組織であるということが、今回、明らかになりました。「起訴相当」という決定は、国民感情が納得していないという曖昧な理由で、大物政治家を刑事被告人にしてしまい、政治家としての活動に大きな影響を与えています。この権限は、政治の道具になってしまいかねません。その妥当性が問われます。 もし、気に入らない人がいたなら、刑事告発し、検察に取り調べをさせ、検察が不起訴処分にしても、検察審査会で「起訴相当」に持って行けば、刑事被告人にすることができます。たとえ、判決が無罪になるとしても、長期にわたる裁判に力を割かねばならなくなります。その影響は、甚大です。 加えて、検察審査会が、どこまで審査してよいかが明確では無いようで、手続きとしての妥当性が問われています。審査の対象を超えて結論が導かれているようであり、そこが問題です。おそらく、対象を超えた事情については資料が正式には提供されていないにもかかわらず、決定に織り込んでいるものと思われます。もしそうなら、そのような決定の意義を考え直さなくてはいけません。この点については、裁判が始まったおり、裁判所で、門前払いをするかもしれませんが……。 いずれにせよ、そうした事情を、国会で審議し、検察のあり方や検察審査会の制度を改めていくべきです。そのために、しっかりと証言をするべきです。 質問に立つ議員は、きちんとポイントを練り、金の出所を何度も尋ねて、「納得できない」などと決めつけるような不毛なことをせず、立法に繋げなくては行けない問題は何なのかを明確にするようにしなくてはいけません。 元代表に近い議員が質問に立つ事があるなら、きちんとした打ち合わせをして、「政治とカネ」というイメージだけの不毛な議論ではなく、検察のあり方や、検察審査会という制度という改めるべき国の制度の方を、討論の中心に持って行くように心がけるべきだと思います。 検察審査会という制度は、民主的な理念が元にあるはずなのに、民主的な政治を踏みにじる制度になりかねない危険を持っていることが、今回、明らかになっています。そこに、素早く対処しなくてはなりません。 案外、元代表に、「起訴相当」という決定を下したことは、キズが深くなる前に問題に気付くきっかけになっているのかもしれません。この機会を、活かすべきです。 また、政治資金規正のあり方については所管の総務省、土地の取引については法務省と農水省(農地からの土地の種目変更がからんで日付がややこしくなっていることが問題の発端らしいです)の見解も質し、検察の考えの妥当性も吟味しなくてはいけないと思います。 いろいろと国会が取り組まなくてはいけない問題がある一方で、今後、元代表は、政治的な活動の舞台を、国会から法廷に移していくのではないかと感じています。 国会では、選挙制度の改革や、政治資金規正は、この元代表が中心となって進められてきたことです。国会については、ある程度、元代表の理念が反映されており、政権交代も実現しました。しかし、国民の代表によって構成され、国権の最高機関であるはずの国会の権威は確立されているとはいえません。 明治以来変わらぬ官僚優位の国家運営が行われている一方で、その官僚制度が陳腐化しています。官僚制度と闘うためには、国会の中で制度について議論したり、内閣として官僚の上に立っただけでは、どうやら足りないようです。 三権の一つである、裁判所という官僚組織に認めさせ、行政の官僚に文句を言わせないようにしなくてはいけません。そのための闘争に取り組むというのが、「政治闘争だ」という言葉に込められているように感じました。 もしそうなら、すごい政治家です。師である田中角栄を超えたのではないかと思います。 ■
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by gskay
| 2010-10-14 13:13
| 政治と役所と業界
新党は、判で押したように、国会議員数削減を叫んでいます。もっとも、民主党も自民党もそうですが……。
日本の国会議員数は、必ずしも多い方ではありません。むしろ少ない方です。 しばしば比較に出されるアメリカは、連邦国家。州の役割が大きく、連邦の役割は限定されています。そういう国の国会議員数と比較しては判断を誤ると思います。 日本は、国の役割がとても大きく、生活の隅々まで国が所管しています。その権限を監視する国会議員の数が少なくなってしまえば、腐敗したり、暴走したりしてしまいます。 また、国の大きな権限を見直すにしても、現在の国会議員では人数不足。権限の整理の作業さえままなりません。 国権の最高機関と規定されているのに、パワー不足でやるべきことができない国会は、むしろ議員定数を増やすべきなのではないでしょうか? 加えて、どの党も、公務員数を削減するとのこと。 公務員は、景気に影響されにくい消費者であるのに、公務員を減らしたら経済に悪影響をもたらすように思います。 仕事の無駄をなくし、しっかりと働いてもらうことが大切だと思いますが、仕事の効率化や見直しと、公務員削減は別のことのように思われます。 民間が不景気である時に、公務員を減らしたところで、民間の景気が改善するとは思えません。むしろ悪循環。民間の不景気は、民間の力で乗り越えなくてはいけないと思います。公務員に八つ当たりしたり、足を引っ張ることが、民間の活力につながるわけではありません。 非効率で、勉強不足で能力的にも高度ではないのに、裁量による権限ばかりが肥大化している官僚制度は、抜本的に改善するべきだとは思います。しかし、だからと言って官僚を追放すれば解決すると考えるのは浅はかだと思います。必要なのは、効率化であり、能力の向上であり、裁量の範囲を少なくするための規則の厳格化です。 せめて、官の役割を民に移すという議論なら了解できるのですが、それも小泉改革の負の側面とされる問題のために、議論になりにくい状況です。 では、一体、誰がその役割を負うの? いかに国を弱体化するかを競っているような参議院選挙だと思われます。これでは、この国は生き残ってはいけないと、私は思います。 ■
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by gskay
| 2010-06-15 11:47
| 政治と役所と業界
「新しい公共」円卓会議というものが内閣府にあって、地味ながら重要な問題を議論しているように思われます。「御上依存」への反省や、「「公共」は「官」だけが担うものではなかった」という明治維新以前の社会のあり方などが、議論の原点になっているようです。そのような問題意識には共感しますが、議論の方向性には疑問があります。
「官」や「御上」という存在と、議会という存在に、きちんとした区別がついていません。 また、「年貢」や「税」と、その使い道の決定方法がどういうものなのかということを意識することなく、寄付のありかたを論じています。 寄付によって支えられる組織が大きな役割を果たして行くという方向性を打ち出す上で、集まった寄付の使い道の決定方法が曖昧なままではいけません。 政府の予算は、議会で決められます。議会は、納入した税の多寡など関係なしに、1人1票の投票によって選ばれた議員によって構成され、多数決で意思を決定します。 一方、寄付による公的な組織を、政府とは別に作る意味は、寄付する人の意思を反映させられるところにあると思います。税として納めなくてはいけないお金の一部を、自分の意思で、自らが振り向けるというのが、「新しい公共」における寄付のあり方だと思います。 政府の指示や官庁の指示に従うという組織があってもいいと思いますが、そういう指示に距離をおき、自律を原則とする組織があってもいいと思います。 そのためには、組織の方針に賛成する人だけが寄付をするとか、寄付の多寡で発言権が異なるというような、様々な意思の決定方法を認めることからはじめなくてはいけないと思います。 そうしたことを抜きにしたまま、成功した事例やサービスをとりあげて、御上のお褒めをあたえているかのような議論をしているように思われます。欧米の仕組みなどを紹介してはいるものの、表面をなぞっているにすぎず、本質を見失っていると思います。 税や議会の決定、政府の決定ということから距離を置く仕組みを、公的に認めることが、「新しい公共」の第一歩だと思います。 現在の議論の方向では、「官」や「御上」による統制が強い組織ができるものの、その統制には責任が伴っていません。このままでは、責任を末端の組織に押し付けるような「公共」ができてしまうのではないかと思います。 これは、第二次世界大戦で懲りた悪夢の道筋だと思うのですが……。 ■
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by gskay
| 2010-05-17 06:22
| 政治と役所と業界
郵便割引制度の不正事件は、当局が壮大な構図を描いて摘発し、厚労省の幹部を逮捕拘留に及ぶという大事件になったにもかかわらず、真相は、現場の担当者単独の不正ということになりそうです。
検察の取り調べのあり方が問題になっている時期なので、タイムリーだと思います。これをきっかけに取り調べの透明化が行われることになれば良いと思います。 真相が担当者の独断であったなら、共犯とされた元局長の被告は無実無罪ということになりますが、そうなると、それだけでは済まされないだろうと思います。元局長がどの程度がんばるかはわかりませんが、失われたものを回復しようとするのではないかと思います。そのエネルギーがどこに向かうかによっては、検察の担当者は、気が休まらないないのではないかと想像します。 ただ、完全な共犯とまではいかないが、上司としてして許されることではないというような理由をつけて、無理やり有罪にするということも、日本の司法ではありえることのように思われます。取り調べ段階の滅茶苦茶さを棚に上げ続けるためには、そういう方向に進むこともありえると思います。当局がこぶしを振り上げた場合、それがどんなに理不尽なことであっても、これまでは正当化される傾向にあり、それがすぐに改まるとは思えません。
検察の失態ということになると思います。 耐震偽装事件では、元建築士が、発覚後に自分の責任をごまかすための発言をしていて、それに捜査当局も世の中も引っ掻き回されました。その結果、関係者が耐震偽装と直接の関係はない別件で有罪判決を受けていたりします。この別件での処罰というのは、その経緯を考えると適当ではないと思われる部分もありますが、出てきたしまった罪状であるには違いありません。 これに対し、今回は、本人が当初から否定しているにもかかわらず、検察が描いた構図を無理に本人に押し付け、検察が都合のいい調書を歪めて作ったということになります。 てっきり、元係長が、まわりに責任転嫁をしようとしていたのかと思っていました。しかし、そうではないようで、これは、失態という言葉では片付けられないような問題を検察につきつけることになるように思います。 ひょっとしたら、そういうことまで想定した壮大な企みなのかもしれませんが、検察のダメージは、とても大きいのではないかと思います。 ■
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by gskay
| 2010-02-28 03:52
| 政治と役所と業界
会計の記載に関する事実関係では、あまり争いはないようです。そうなると、法律の解釈や、会計ルールの解釈の問題になります。こうしたルールの解釈は、検察の解釈が正しいとは限りません。
引用の記事では、「事実がどう確定するか」とのことですが、確定された事実をどのように解釈して法令のあてはめるのかという問題が、ポイントになるのではないかと思います。 少なくとも、立法の趣旨や、担当する総務省の見解などを総合的に考えなくてはいけません。 ひとたび裁判に巻き込まれると、全力で闘わなくてはいけなことがしばしばです。しかし、もし勝算があるのなら、わざわざ議員の立場を捨ててまで、裁判に力を注ぐ必要はないだろうと思います。法律の定めもあるように、判決が確定するまでは、議員に留まっていて差し支えないと思います。 どうせ、どのような判決になろうが、検察も被告人も最高裁まで争う覚悟なのだと思うので、気が遠くなるくらい時間がかかります。被告人は、それをやりぬく覚悟があると宣言しているのだと思います。 政治にまつわる金の問題では、「田中角栄以来」と形容されるダーティーなイメージがつきまといますが、金の必要性や金の力、金の集め方、その弊害を知る抜いていたのは、田中角栄にほかなりません。政治資金の規正や、選挙制度の改正は、田中角栄自身が必要性を感じて取り組んできたもの。その流れをくんで、その部分に最も関与してきた人物が、小手先の法令解釈の問題に、そんなに簡単に負けてしまうとは思えません。 金集めに苦労しないで済み、金の力によって政治がねじ曲げられないようにするために努力して来たのは、実は田中派の流れの人たち。それは、今までの制度が、金集め次第ということを熟知していて、金の力で政治が動かされてきたからだと思います。それを最大限に活用することで、逆に、その仕組みの問題を取り除こうとしていました。金権政治を批判するだけの立場とは異なる現実路線です。それが、あまり評価されていないのは残念です。 ところで、尻切れとんぼな検察の展開は、耐震偽装の時と似ていると思います。 大見得をきる形で大捜査をしておきながら、耐震偽装では、元建築士を除いて、全てが別件でした。裁判所の判決では、耐震偽装とは関係ないと明言されてしまっていたりするほどです。 無理矢理、巨悪と関連づけようとするかもしれませんが、帳簿の記載の判断についての見解の相違以上のものは出て来ない可能性が高いのではないかと思います。 また、怪しい発言に振り回されてしまった点も似ています。 耐震偽装では、元建築士の発言に振り回されました。こちらでは、元福島県知事の汚職疑惑であやしい発言をした業者に振り回されているようです。 検察というのは大事な仕事をしていると思います。これでいいのか心配です。人員を増やすとともに、能力を向上させるための方策が必要なのではないかと思います。 ■
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by gskay
| 2010-02-08 04:15
| 政治と役所と業界
政権交代後の与党の幹事長の政治資金をめぐる騒動には、あまり感心できません。
耐震偽装の時と同じように、先に「構図」があります。 疑われている側の発言というふれこみで、「構図」に都合がいい情報が流れています。しかし、辻褄があわなくなると、二転三転します。疑われている側の発言が翻ったとして報じられ、ますます疑いが深まったと解釈されます。 このような状況の場合、「構図」はあてにならないというのが、耐震偽装以来の私の印象です。 騒ぎになり、大掛かりな捜査が行われた以上、しかるべき巨悪を暴かなくてはならないという本末転倒な正義感から、強引な捜査や報道が行われています。しかし、そうした騒ぎのこれまでの裁判の内容をみると、別件であったり、無罪になったりということが少なくありません。裁判になってみたら、報じられてきた内容が荒唐無稽な言いがかりであったということがしばしばです。 そのような状況でも、疑われた人が失ったものを回復する方法がないということに疑問を感じます。逮捕されるということや、起訴されるということ自体に「罰」としての意味がこめられているのだと思いますが、それが不適切であった場合への配慮が不十分であると思います。 「誤りが許されない」という覚悟は結構なことですが、それは、「誤りを認めない」ということであってはいけないと思います。誤りは誤りで認め、それによって不適切な処遇を受けた被疑者や、容疑者、被告人への補償の充実が必要だと思います。さらに、そのような誤りを犯した担当者がしかるべき評価を受けるという仕組みがしっかりとしていなくてはいけないと思います。捜査当局も、報道機関も。 ところで、このような場合、疑われている側に説明の責任を求めて、社会的な追及が行われますが、これは、どんなに説明しても無駄です。ありのままに全部を公開しても、もっと隠している「はず」だと、非難がエスカレート。説明をせずにいても、説明をしても同じことです。 仮に言いがかりであったとしても、第一にすべきことは、世間を騒がせていることへの謝罪。その上で、捜査当局とは別の担当の官庁と相談し、修正すべきところを修正するという手続きを誠意を表しながら行うことが大切だと思います。それが、このタイプの騒ぎの我が国における危機管理だと思います。 幸か不幸か、官庁が縦割りです。一方で、法令が曖昧で解釈に幅ができてしまいます。ここに、官僚の裁量の余地が生まれます。所管している官庁の官僚に認めさせてしまえば、追及は難しくなります。私は、官僚の裁量には批判的ですが、現状では、それを逆手にとった危機管理が可能だと思います。邪道だとは思いますが、背に腹はかえられません。 ところで、そのあたりをうまく切り抜けているのが、与党の代表で首相。これに対し、法律を作った当人としての法令の理解に対する自信と、官僚の裁量と対決するという決意で、騒ぎに真っ向から取り組んでいるのが幹事長。 幹事長への疑いが、どのように決着するのかわかりません。 疑われている側にダメージが加わって終わるのが、これまでの通常のパターンだったと思います。たとえ追及する側に無理があっても、その無理を通してきました。 その無理が通らず、うまく疑いをはねのけて見せる可能性もあると思います。さらに、無理なことをしようとした追及側にダメージを与えるという逆転も起こるのではないかと思います。 その実現は、国会の権能を最大限に利用できるかどうかがポイントではないかと思います。今まで、その権能を利用して、追及をかわすことに成功した人はいません。というか、挑戦しようとした人がいません。それを、はじめて成功させる可能性があるように思います。 これは、政治家以外には与えられないチャンスです。逆にいえば、政治家さえも無理な追及をかわすことができないとしたら、当局はフリーハンドを手に入れたことになってしまい、戦前の統帥権の再来ということになってしまうのではないかと恐れます。 疑惑の方が正しければ、そんな超越的なフリーハンドの心配などする必要はないのですが、近頃は、筋が悪い追及が多くて……。 ■
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by gskay
| 2010-02-01 04:49
| 政治と役所と業界
自民党の耐震偽装問題対策検討ワーキングチームの座長であった早川忠孝さんや、事務局長だった牧原秀樹さんといった方々が、先の衆議院選挙で落選しています。残念です。次の活躍を期待しています。
自民党のワーキングチームは、国土交通省が出したスキームに対し、必ずしも現実的なものではないという評価をしていました。また、関係者の責任関係が、いかに不明確で曖昧であるかを明らかにしていました。建築基準法の改正などについても、危惧を表明していました。この点について、私は、共感していました。 与党のワーキングチームであるのに、大胆な発言だったと思います。ただ、ホームページは、民主党に比べて、はるかに見劣りするものでした。 一方、威勢がよかった民主党は、初動で見当違いの方向に進み、その後の追及も、「構図」というスキャンダルの追及に終始し、本質に近づこうとしていなかったように思います。 民主党は、XOOPSを用いたコミュニケーションサイトを作っていましたが、消滅。これは、耐震偽装が政治的な問題として飽きられた時期と重なっていたように思います。 自民党の早川さんたちのワーキングチームは、「政治的なイシューでなくなると、党としての取り組みは後退する……」と言っていました。実際、2006年の2月の第4回緊急提言以降は、ホームページの更新も途切れているようです。ただ、その後も、活動は続いていて提言をまとめています。このあたりは、早川さんのブログや、牧原さんのブログで知りました。会合は、2009年に入ってからもあったようです。 ワーキングチームは、当選回数が少ない「若手」にとって重要な機会であったと思います。官僚に迎合せず、現場に足を運び、本質を見極めようと努力する。そして、与党でありながら、大胆な提言をする。この「若手」の人たちの多くは、政権交代の潮流の中で苦渋をなめておられることと思いますが、今後に期待しています。将来、このワーキングチームが「政治の新しい流れ」の出発点であったと振り返ることができるのではないかと思います。 ■
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by gskay
| 2009-10-12 01:11
| 政治と役所と業界
政権交代によって、耐震偽装発覚当時の民主党代表が、国土交通大臣になりました。耐震偽装の問題で、初動の視察先が適当でなかったり、その後の追及の方向がまと外れだったため、高い評価はしていませんが、これからの活躍を期待しています。
国土交通大臣としては、様々なことに取り組んでいくのだと思います。 ダム建設の中止の問題は、漫然と行われる公共事業のありかたを見直すことになると思います。 日本航空の経営再建の問題は、民間航空会社の企業の競争力の問題ではありません。中央と地方、あるいは地方同士が空路によってどのように結ばれるべきかということに関わり、それをいかに公的に支えて行くべきかという問題です。また、アジアの空のあり方が問われています。加えて、安全保障上に重要な役割を持っています。 高速道路の問題は、無駄といわれる高速道路と、必要性が高いにもかかわらず長期に頓挫している高速道路を、どう見極め、どう対処するかという問題です。無駄と言われる高速道路は、建設を中止、中断しても差し支えがないと思います。一方、長期に頓挫している必要性が高い高速道路は、世代をまたぐほどの長期間の経緯があります。このプロセスの間に、工事に反対する人たちに、しかるべき便宜をはかったり、強い権限を発揮したりするということを怠ってきたのではないかと思います。古い体制で、膠着状態になっています。これを、打破する必要があります。体制が陳腐化していますが、これは、建設を推進する立場だけでなく、建設に反対する側にもあるのではないかと思います。 また、海上保安庁の運用は、今後の東アジアの平和や安定に重要です。領土の問題や、国境の問題の現場はここです。外交当局に劣らないくらいに重要で、口先だけではない覚悟が要求されていると思います。 問題が山積みのなか、建築の問題も重要な課題とされているようです。住宅政策は、経済政策でもあるので、適切な対応ができないと、被害が出ます。 耐震偽装に関連した建築関連の法規の見直しは、仕組みを小手先にいじって、煩瑣で厳しくしただけでした。「建築ができなければ、違反はない」わけで……。 それに対し、今後の見直しでは、厳罰化という事後の取り締まりの強化がうたわれているようです。これまで、建築確認をする当局と、取り締まりをする当局が分離していませんでした。これを分離させることが第一歩ではないかと思います。 その延長として、建築に関わる主体にどのような役割と責務があるのかという根本的な関係の整理が必要だと思います。 このあたりは、耐震偽装の追及で名をあげた副大臣が活躍してくれるのかもしれません。 ところで、国土交通省という役所は、「技術」を扱う役所です。技術に対応する能力が、民間の技術の向上や、海外の技術の向上に追いついていないという体制を見直す人事も必要です。長期的に、人材を養成するところから再スタートを切る必要があると、私は思っていますが、そこまで頑張るかどうかは、今のところ見えてきません。 国土交通省は、政権交代で、大きく変化する可能性があると思います。 ■
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by gskay
| 2009-10-11 02:26
| 政治と役所と業界
実質的に任期満了と変わらないにもかかわらず、中途半端に延長国会の会期を残して解散するのは、これが自民党にとって、絶好のタイミングだからだと思います。
「麻生おろし」と呼ばれる動きがあったとされていますが、それは、解散のための演出の小道具だったのではないかと思います。 総裁の一声で、自民党が「議員懇談会」を、「公開」にしました。この瞬間のために、わざわざ混乱をさせていたのではないかと思います。 総裁の指導力が疑問視されていましたが、それを一蹴することができたと思います。また、「麻生おろし」の首謀者というのも、この演出を共謀していたのではないかと思います。さすがです。……私は、うっかりしていました。 情勢は、圧倒的に民主党が有利なままですが、主導権は、自民党側に移ってしまったように思われます。郵政解散の晩の小泉首相の名演説とは、やり方も目的も効果も異なりますが、みごとに情勢を変化させてしまったと思います。 余程のことがない限り、民主党が衆議院選挙を制し、政権交代になると思いますが、民主党の代表の交代のあたりから、状況が変わって来ていたように思います。 これからの問題は、政権交代後の展開です。 ところで、政権の真価は、予算です。予算を編成し、それを執行して、はじめて政権は一人前になります。 逆にいうと、予算を編成することさえできなかった政権は、本格的な政権とはみなされません。 自民党側は、政権交代が成立した場合に、予算編成前に、次の政権を退陣に追い込もうという方針ではないかと思います。 私は、衆議院の3分の2を確保している状況では、解散の必然はないと考えていました。しかし、任期満了では、選挙が10月になってしまい、予算編成にかかわる通常国会までの期間が短すぎて、新政権を退陣させたり、政界再編のきっかけになるような状況を作り出すことはできません。 一方、9月に特別国会が開かれ、そこで政権交代が実現すると、予算編成までは充分に時間があります。これだけの時間があれば、政権が維持できなくなったり、政界が再編される可能性は充分あると思います。 特に、年末年始は、政党助成にからんで、新党を結成するには、ちょうどいい時期です。来年夏の参議院選挙に向けて、政党が分裂する方向に進む可能性があると思います。 今の政党の枠組みでは、選びようがないと思っています。それは、この総選挙でも同じ事。この枠組みでの政権交代があったとしても、新政権に対しする期待はありません。 大連立だろうが、分裂だろうが、今のままの二大政党の枠組みを打ち破るような政界再編を期待しています。次の次の選挙は、その再編の成果を問う選挙になって欲しいと考えています。 その次の次の衆議院選挙は、あっという間にやってくるかもしれないとも考えています。 この解散総選挙は、自民党にとって不利で、自民党は、存在さえも危うくなるかもしれません。しかし、自民党に集まっていた人たちが、しかるべき時期に、しかるべき形で、中心に戻ってくるような気がします。そのための仕掛けが済み、最初の一手が打たれたところだと思います。 ■
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by gskay
| 2009-07-22 04:30
| 政治と役所と業界
忠誠の有無は、政治にはとても重要な要素だと思いますが、言論に基づく民主政治では、言論の方が優先だと思います。
もともと、自民党は、経済についての考え方も、財政についての考え方も、行政についての考え方も、一致したものはありません。議論を大いに戦わせることができるのが自民党の長所である一方で、それが路線を不明確にしたり、対立につながってしまうという短所を持っています。 小泉改革路線は、現在、旗色が悪いようですが、私は、改革を徹底させることができなかったことを残念に思っています。経済政策や、財政政策は、その折々の経済状況で変化させるのが妥当だと思います。しかし、行政制度や、公務員制度、権力による規制のあり方については、私は、小泉改革に対する逆行がはじまっていると思っています。 小泉、安倍、福田と、それぞれ手法は異なり、温度差はあるものの、方向性は一致していたように思います。現在、「規制緩和」の方向性が様々な弊害を生んだという考えが有力で、小泉、安倍、福田は批判の対象です。しかし、その弊害を良く分析すると、「規制緩和」以前からあるものが多く、むしろ「規制」によって生まれているものが少なくありません。 少なくとも、耐震偽装に関しては、「規制緩和」の失敗ではなく、「規制」の失敗でした。 耐震偽装を、「規制緩和」のせいにするのは誤りです。これは、一部をのぞいて理解はされておらず、もはや修正不能のように思われますが……。 ところで、自民党の混乱の象徴のようになっている両院議員総会開催請求とその対応については、小泉改革路線を継承する自民党議員が、現政権に挑んでいるという構図で伝えられています。ひどいことになっていると思います。私は、請求している側の肩を持ちます。 会議を行わないで反対する議論を封じるという上層部の方針は、政治闘争の道具の一つとしては肯定できる方法だと思います。しかし、行き過ぎがないように注意しなくてはなりません。一歩間違えると、国会を燃やしてしまって、国会を停止させてしまったナチスと同じになってしまいかねません。 内閣不信任案に賛成したり、投票に参加しなかったりというような行動がなかったのに、上層部が過敏に行動しすぎて、憲法がめざす議会政治や、議院内閣制が損なわれてしまっているように思います。これは、党の理念にも反するのではないかと思います。 私は、規則通りに自民党が両院議員総会を開いて欲しいと願っています。その結果、総裁が交代するという状況になったとしても、透明性や公正性が保たれることが大切だと考えています。 路線の違いが明らかになって、一見、団結できていないように見えるかもしれませんが、今は、透明性や公正性が大切です。その辺りは、民主党の方が、格が上だと思います。党の歴史の違いのせいかもしれませんが……。 これだけの混乱があるのに、自民党が一つの党になっていることには驚嘆しますが、私は、小泉改革路線をしっかりとさせるべきだと主張する人たちが、自民党から分かれ、別の政党をつくることを歓迎します。考え方が党の方針の中で埋没してしまわないようにと願っています。 私は、「二大政党」という発想自体を疑っています。小さな政党が合従連衡し、連立や選挙協力によって二大勢力を形成することが大切だと考えています。 連立や選挙協力を行うための交渉や説得は、とても大事な政治プロセスです。それを、あらかじめ二大政党に押し込めてしまうことで、その大事なプロセスをないがしろにされてしまうことがあるように思います。今回の自民党の混乱は、その例だと思います。 様々な意見や立場が、無理にひとつの政党にまとまっていることは、党の運営を難しくするばかりか、それぞれの主張が政治に反映されにくくなってしまいます。そのような状況であるからこそ、主張や交渉よりも、忠誠がもとめられる事態になっているのではないかと思われます。 アメリカの二大政党は、基本的な差に加え、様々な勢力が交渉し妥協することによって成り立っています。そのような二大政党と、今、日本で考えられている二大政党は、全く別のものだと思います。二大政党のあり方について、思い違いが蔓延していると思います。 次の衆議院選挙には間に合いそうもありませんが、分裂して、その上で、しかるべき選挙協力の枠組みを作っていくのが妥当だと思います。 そのためには、政党のありかたや選挙制度についても、根本的に検討する必要があると思います。 交渉をくりかえし、支持をとりつけることで、定数+1にまで候補がしぼられた状況で争われる選挙がもっとも熾烈で、しかも、意見の集約が進んだ選挙です。マニュフェストも、その場合に意味があります。 衆議院の小選挙区制をもとでは、二大勢力に固まっていくのは当然の流れになると思いますが、それが、既存の政党の枠組みの延長で二大政党制になるということを直接意味しているわけではありません。 このことを、自民党も公明党も、良く理解していたように思います。自民党が政権与党でいられたのは、公明党との選挙協力による「二位三位連合」のおかげです。数年さかのぼって比例の得票をみてみると、とっくの昔に自民党は第一党の座を失っています。 ■
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by gskay
| 2009-07-18 15:50
| 政治と役所と業界
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耐震偽装発覚から、5年。建て替えが再開発事業としてすすめられています。
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