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市川の超高層マンションでは、検査機関の検査の有効性が示された形になりました。しかし、本来、これは、監理が指摘すべき問題で、監理が空洞化しているのではないかという批判もありました。
東麻布の超高層マンションでは、監理が問題を指摘したようです。
設計、施工、監理と、それぞれの責任が果たされなくてはなりません。検査機関は、その枠組みからみれば、外の存在です。 監理といっても、これまでは、施工の問題を指摘することは難しかったかもしれません。むしろ、いかに、問題を表面化させないかが努力の目標だったのかもしれません。 しかし、今は、問題を放置することが重大な問題につながるということが明らかになっています。このため、監理としての本来の業務が期待されるようになっているのかもしれません。 検査機関の役割を増やすことよりも、監理がきちんと責務を果たすことの方が、建築の健全化には役に立つと思います。そのための環境を整えるべきだと思います。 公的な取り締まりや、検査機関の役割の強化は、建築にとっては、二次的なものにすぎないと思います。そこに、力を注ぎすぎては、現場が空洞化してしまうでしょう。 今回の監理の位置付けは、厳密に言うと、設計、施工、監理の役割分担とは、少しニュアンスが異なる監理かもしれません。しかし、今回、監理が監理としての任務を果たしたことは、これまでのことを考えると、「手柄」だと思います。 当然のことといえば、当然なのですが……。 ■
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by gskay
| 2007-12-21 13:54
| 揺れる システム
現在の仮住まいは、URの賃貸住宅です。昔でいうところの公団住宅です。家賃は、決して安くありません。また、実家は、前身となる公団の分譲マンションでした。現在のURは、分譲事業は行っておらず、賃貸と再開発の組織です。
前身となる組織による分譲では、耐震性能や欠陥に関して、ヒューザー以上のややこしい問題をひきおこしている組織です。必ずしもスムーズではなかったようですが、公的な機関であるためか、そのあたりは大胆な対応が行われたようです。そうした対応に関わる責任の部分は、民間に引き継ぐべきではないと思います。民営化されたからといっても、倒産して、清算ということにはなじみにくいと思います。
URの再開発事業は、それだけで、ひとつの会社になりうると思います。URが参加することで、様々な手続きにおいて有利な条件があったのは確かです。民営化後も、それが引き継がれるかどうかは、この事業を考えるうえでのポイントになると思います。 ただ、コストが少し高いように思います。根拠次第では納得できますが、そうした部分への配慮は不十分なところがあると思います。関連した企業との関係などを見直す必要があるのだと思います。 再開発についてのノウハウの蓄積は大きいと思いますが、再開発の経験が豊富な自治体や企業もあり、独壇場ではありません。生き残るには、相当の努力が必要になるのだろうと思います。 賃貸事業については、民間の事業にしても良いような優良物件がたくさんあります。そういう物件は民営化になじむと思います。 しかし、建築から年数が経った物件など、簡単ではない事情をかかえた物件も多数あります。住民も、身軽であるとは限りません。そういう物件にも目をむけなくてはいけません。老朽化した物件の建て替えなど、やり方をあやまれば、スラム街を作ってしまいかねません。 そういう点で、ひとくくりにして民営化の是非を問うのは、不毛です。きめの細かい分析を行い、民営化すべき部分と、困難な部分とを仕分けする必要があるのではないかと思います。 ■
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by gskay
| 2007-12-20 13:18
| 仮住まい
ヒューザーの小嶋社長の刑事裁判が結審だそうです。この裁判は、耐震偽装そのものが裁かれているわけではありません。問題が発覚してから、公表されるにいたるまでの微妙な期間に行われた引き渡しが、詐欺かどうかが問題になっています。
個人的には、引き渡しをやめておくべきだったと思います。しかし、公判でも問題になったように、代金の流れは、金融機関を介していて単純なものではありませんでした。それでも、決断さえできたなら、様々な障害はあるものの、引き渡しをやめられた可能性は有るようです。そういう意味で、肝心な決断ができなかった経営者であり、被害を拡大させてしまいました。 ただ、引き渡しを期日に行うという契約の履行に対する責任もあります。その上、問題となった耐震性能の問題は、発覚の時点で確定したものではなかったし、その重大さも明らかになっていませんでした。そうした事情を、よく検証する必要があると思います。 ところで、仮に、あの時点で、引き渡しを中止できたら、問題に正面から取り組もうとしたイーホームズに近い立場から問題に取り組む事ができた可能性があります。耐震偽装は、全く異なる事件となっていたことでしょう。しかし、公表までの水面下の努力は実を結ぶ事はなく、イーホームズとは独自に建築確認の問題点を追及するという方針は裏目に出てしまいました。 少なくとも、小嶋社長の努力で、国土交通省のデタラメさを明らかにすることはできなかったと思います。懇意にする政治家をまきこんだスキャンダル騒動へと矮小化され、肝心の問題から目をそむけるための格好の材料を提供しただけになってしまいました。
引用した記事では、「耐震偽装を容易にできる仕組みを作った国土交通省だ」という主張を取り上げています。私は、国土交通省について非難すべきポイントは、別だと考えています。 たとえ容易に偽装できるような仕組みであったとしても、違法を許すべきではありません。たとえ国土交通省が脆弱な仕組みしか提供していなかったとしても、違法行為について国土交通省を非難することは適当ではありません。 問題は、10月末に発覚してから、11月17日の公表に至るまでの過程で、国土交通省も、担当する特定行政庁も、しかるべき判断をしていないという点にあります。11月17日までは、この問題が引き渡しを中止するにふさわしい欠陥や違法状態であるとは考えられてはいませんでした。ようやく一部の再計算が終わり、それが重大な事態であると公的に判断されて公表されたのは、あくまで、11月17日です。 11月17日の公表からさかのぼって、10月末の発覚直後の引き渡しの問題を問うことができるかどうかが、私は、この裁判のポイントの一つだったと考えています。 違法な建物だという点は前提だと考えられているようですが、ここに疑問を感じています。あくまで適法という手続きのもとで行われた引き渡しであり、公的な判断や処分はありませんでした。 そのような、後からの公的な判断や処分が、このような「詐欺」を問う根拠になるのかどうかがポイントになるのではないかと思っていました。しかし、どうも、この裁判では、そうした方向では争われなかったように感じています。 引き渡しにいたるプロセスだけが問題になっていて、前提となる「違法」という判断がどのように行われたかは問われていません。 検察は、「業者としての最低限のモラルを欠いた卑劣な行為」と指摘したと記事は言っていますが、違法の取り扱いが曖昧なだけでなく、公的な判断や処分に時間がかかったことが、藤沢の物件の引き渡しが行われてしまったことの最大の背景だと思います。 イーホームズには、建築確認などの検査をし、適法であることの証明書を発行することはできますが、それを取り消したり、違法を指摘する権限はありません。あくまで、特定行政庁が違法を指摘し処分を決定することが要求されているはずです。 そうした点を、国土交通省も、検察も、マスコミも誤摩化しています。それに、世論は流されています。 違法の深刻さは、その時点では明らかではなく、再計算を行うことによってはじめて確定した問題です。それが、引き渡しの契約を果たすというヒューザーの責任を否定できるのでしょうか?これは、刑事裁判より、民事裁判で争うべき内容だと思いますが、この「詐欺」を考える上で、重要な要素だと思います。 また、公的な判断がなくても、このような引き渡しの違法性を問う事ができるとしたら、どのような問題が発覚した場合、「詐欺」になるのかという基準も必要になるのではないかと思います。程度の問題があるからです。加えて、後から公的な判断や処分が行われたり、変更された場合、「詐欺」がどう取り扱われるべきなのかという点にも関心があります。 無罪となったら、検察が控訴することになると思いますが、有罪なら小嶋社長のやる気次第です。今の弁護団は人権については積極的ですが、少し、追求のポイントを変更する工夫も必要ではないかと思います。 もし、最高裁まで争うことになったなら、行政の「後だしじゃんけん」の正当性について判断してもらいたいと思います。 ■
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by gskay
| 2007-12-18 13:35
| 真相 構図 処分
住宅や建物の欠陥と、自動車の欠陥では、似ている部分もあれば、異なる部分もあります。似ている部分としては、安全に関して、公的な基準や取り締まりの対象になっていることがあげられます。一方、異なっている部分としては、住宅や建物は、各戸ごとに異なっていると考えられていて、対応は個別的です。これに対して、工業的に大量生産される自動車は同じ型であれば、同じものだと考えられていて、対応は車種ごとになります。
欠陥隠しとして問題になった三菱の問題は、不具合や事故の報告を元に危険を予知することができたかどうかということが本質だろうと思います。個々の不具合や事故から、その車種に潜む問題を見抜くことができたかかどうかという問題です。それが、その後の対応の前提になるからです。 この問題には、設計をした人、製造した人、販売した人、使用する人に整備をする人、それに検査をする人と多数の関係者がいます。そうした複雑な仕組みを直視せず、行政当局も、司法もマスコミも、事件の責任の所在を「虚偽の報告」という点に求めているように思われます。これについては、「虚偽」ということで、高度な技術が関わる問題を処理して良いのかどうか疑問です。少なくとも、技術的な問題についての決定的な説明を見つけることは、私にはできませんでした。 ところで、「リコール」という制度がないがしろにされていた点については、厳重な処分が行われることは大切なことだと思います。個別に処理されることが前提となっている住宅とは、異なる事情です。自動車については、「リコール」という制度が的確に運用されなかった点について、きちんと検討されることを期待しています。 三菱内部のデータの取り扱いについては、不確実なデータをどのように取り扱うべきかということが問われています。有罪と判断された三菱の「市場品質部」というのは、本来、そのようなデータの中で不利なデータを積極的に取り上げるのが任務だったのではないかと思いますが、単なるリコール逃れのための言い訳を考えるチームになっていたのかもしれません。 確かに、リコールを見つけると、それは会社の負担を増やすことにつながります。任務を全うし、リコールにつながるようなデータをみつけてしまうと、会社にとっては迷惑だったのかもしれません。むしろ、それをうまく誤摩化し続けるのが「市場品質部」の腕の見せ所になっていたのかもしれません。 不具合のある商品を送り出してしまったことの責任を追及するのが、「市場品質部」の本当の腕の見せ所だったはずです。「リコール」という形で、対応する筋道まで用意されているにもかかわらず、方向性を間違えてしまったのだと思います。
事件の重大さと複雑さを考えると、何が争点なのか、的確に説明している記事は少ないように思います。単に、三菱というけしからん会社の関係者を罰するべきだという判決として報道する傾向になっているのではないかと懸念します。 ところで、昨年12月の横浜簡裁の判決をうけての控訴審も行われています。
この裁判では、検察側の主張は、「官僚の無謬」を前提にしていて、行政がおかした不適切な手続きについて目をつぶっているのではないかと思います。 重大な不具合がある製品を送り出した責任は問われるべきです。しかし、問われている事情には、国土交通省の対応の杜撰さも関わっています。かつて、「揺れるマンション」顛末記 : 行政の裁量の限界というエントリで取り上げた問題ですが、高裁の判断がどのようなものになったにせよ、最高裁まで争って決着をつける必要がある裁判だと思います。業者に対する行政当局に与えられた権限と責任を明確にしなくてはならないからです。 行政の裁量の正当性を認める判断もありうると思います。その場合、私たちは、「御代官様のお気持ち次第」から逃れる方法が無くなる可能性があります。 自動車の「リコール」制度についても、建築の安全についても、その意義は尊重されるべきです。しかし、その運用にあたっては、「御代官様のお気持ち次第」がまかり通るような状況を作ってはいけません。 ■
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by gskay
| 2007-12-16 08:10
| 政治と役所と業界
「今年の漢字」というのは、清水寺のイベントというより、財団法人 日本漢字能力検定協会 のイベントだそうで、投票によって決まるのだそうです。選ばれた理由や、その漢字の意味については、 漢検ホームページ 「今年の漢字」は「偽」 にあります。
清水寺は、奈良の興福寺や薬師寺の法相宗の流れの北法相宗の寺だそうです。玄奘三蔵にさかのぼる唯識を主として学ぶ宗派だそうです。
瑜伽行唯識を深く学び、修行をきわめてこられた猊下にとって、「偽」といい、「嘘」とい、「疑」といい、引用の記事には書ききれないほどの思いがあることと思います。「偽」が次々と明らかになったという表面的な現象だけが、猊下の悲嘆の対象ではないだろうと思います。 -「偽」の反対にあるはずの真実や正義はどこにあるのか?- ということまで、瑜伽行唯識の行者として思いをめぐらせておられることと思います。 我々の多くは、報道や公的機関による発表を鵜呑みにしています。基準や規則については、その根拠や限界を疑う事は稀です。 しかし、そのような公の権威も、完璧ではないばかりか、期待に反して、陳腐化し、それを覆い隠すかのような虚構の上になりたっている状況です。これは、明らかになっているような表面的な「偽」よりも、深刻な事態です。 その虚構による権威を維持するためなのか、是非もなく、センセーショナルに「偽」をこらしめ、権威への疑いを拒否する風潮が生まれています。 「偽」が生まれ、明らかになり、それを過激に取り上げるのは、「偽」の悪質さだけによるものではなく、その裏にある権威さえも揺れているからです。権威は、「偽」の反対にあるはずの真実や正義から離れてしまっています。 そもそも、「偽」の反対にある真実や正義も、仮のものにすぎません。絶対の真実や正義をめざし、追求するという姿勢は評価できます。しかし、様々な問題の背景や前提にあるのは、絶対の真実や正義ではありません。問題の背景や前提にあるのは,所詮、仮の真実や正義にすぎません。 その仮の真実や正義に固執し、かえって、世の中が不安になってしまっていることも、きっと、猊下は嘆いておられることと思います。 「偽」の悪質さに加え、仮の基準や規則に拘泥し、過剰に反応して、自分の首をしめてしまう愚かさへの戒めも説いておられることと思います。 さらに、「偽」を取り上げる事自体が、意図しているかどうかは別として、新たな「偽」につながりかねないという悪循環の危険性にも警鐘をならしておられることと思います。 これは、おそらく、今に限った話ではなく、仏教の経や論で取り上げられるだけでもなく、いつの時代のどんな社会にもある話であり、古今のすぐれた人たちが心を痛めてきたことなのではないかと思います。 ■
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by gskay
| 2007-12-13 14:50
| メディアの狂騒
国土交通省のサイトに、『構造計算書偽装問題とその対応について』というページがあります。耐震偽装が発覚して以来、構造計算書偽装問題対策連絡協議会が行われ、その概要がアップされています。
『構造計算書偽装問題対策連絡協議会(第41回)議事概要』によると、「今後の開催は、定期開催から随時開催に変更し、開催時のテーマ・内容に応じ、関係する特定行政庁等に参加を求めることとした。」とのこと。 2年が経過し、建て替えが必要だとされたヒューザー物件については、全ての物件で、一応の方向性が打ち出されました。そうした時期にあわせて、体制を見直したのだと思います。 改修が必要とされた物件や、ヒューザー以外の物件、姉歯以外の問題については、まだまだ調整が進められている段階にとどまっているところも少なくありません。しかし、もはや、全ての関係者を定期的に集めて会議を行う時期は過ぎたのだと思います。 この会議は、問題の後始末の実務を担当する会議だったように思います。踏み込んだ調査も行われました。それを建築行政や建築の制度や仕組みに活かすのは、これからの課題です。これまでの建築基準法の改正などについては、ここでの実務の反省が反映されているとは思えません。(時期的にも、無理ですが……) また、今後、同様の後始末が必要な問題が発生した場合の前例になるような会議だったと思います。そういう観点から、何が適切で、何が不適切であったのかを、反省しておく必要もあると思います。 ■
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by gskay
| 2007-12-10 14:01
| 公的対応
一般紙の報道では、はっきりとしない点が多かったと思います。
要している字数が全く異なっているので、先日のエントリで引用した一般紙とは比較することはできないと思います。 それでも、一般紙の報道は、少々お粗末だったのではないかと思います。省略しすぎて、実際の出来事との距離がありすぎるように思います。 ところで、どうやら、解体費用の協議については、事前に充分な検討をしていなかったようです。公的な権限で実施されたものだと思いますが、「一刻も早い解体」の必要性については、裁判所も困っているようです。「倒壊による被害から守る直接的な法的義務を負うわけではなく」というのは、これは、所有者の責任を指摘しているのだと思います。 耐震性能の評価に関して真剣に検討するなら、技術的にも、学術的にも議論の余地のある問題です。違法であることには間違いはないものの、その数値を根拠に「一刻も早い解体」が必要だと判断したことが妥当であるとは断定できないと思います。 本来、「一刻も早い解体」は、今にも崩れ落ちそうな建物を対象にして行われるべき措置だと思います。その措置を、耐震性能の違法に適用して良いかどうかについても何ともいえないと思います。既存不適格などの理由によって問題視されずに済んでいる建物で、同じ程度の性能の建物があったなら、このような措置を講ずるのでしょうか? 事前通知があり、異議を申し立てることができるので、民事上は一方的な措置ではありません。とは言うものの,拙速な措置であった可能性があり、反省の余地は大きいと思います。 関連する手続きなど、可能な限りガラス張りにし、周知して欲しいと思います。そうでなければ、古いマンションの耐震診断などについて、尻込みする人が増えてもおかしくない程の激しい措置でした。もし、低い数値が出たら、安全に関する不安だけでなく、行政による処分にもおびえなくては行けないということになりかねません。 ■
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by gskay
| 2007-12-06 14:12
| 公的対応
藤沢の物件について、再建の方向が明確になったという報道がありました。この物件では、ユニークな間取りがとられるとのことです。Qu/Qunが0.5以下の建て替えが必要とされたヒューザー物件では最後で、いろいろと難航が伝えられていました。権利上の問題も複雑な物件で、建て替えの方向付けをするだけでも大変だったと思います。
再入居や、売れ残りの扱いなど、内容が微妙に重なっていないところがあり、二つの記事をあわせて読んでみる必要があると思われます。 ところで、このユニークな間取りについては、私は、びっくりしました。 もともと、ヒューザーの物件を選ぶくらいなので、常識にとらわれない発想ができるのだと思いますが、この間取りに挑戦することは、これまでかけた時間以上の意義があるように思います。 バス・トイレ、小さいながらもキッチンがある個室が、一つの住戸の中に独立してあるというマンションは、我が国ではまだまだまれです。高級マンションに限られた特殊なものだったと思います。 この間取りは、いろいろな意味で、使い勝手がよいと思われます。様々な用途があると思います。賃貸にするかどうかは所有者の個別の事情によると思います。それよりも、一つの住戸に、独立可能なユニットを組み込むというのは、従来の間取りへの挑戦として価値があると思います。 似たような発想は、私が仮住まい中のURの住宅にもあるようですが、これは、必ずしも優れた間取りとはいえないという意見もあります。中途半端な大きさの住戸では、かえって居住性を損ねてしまうようです。私が仮住まい中の部屋は、大きい部屋ではないので、そのような工夫はされておらず、住んでみたことがないので、実感はありませんが……。 広さの点では、ヒューザーの物件をベースにしているので、不可能ではないと思います。広さという魅力を理解できた人が、さらに次の工夫に挑戦しているように思います。 広さについても、設備についても、我が国のマンションは、世界をリードできるような水準ではありません。広さについては、ヒューザーというデベロッパーが、出る杭となって方向性を示したように思います。その延長で、藤沢の物件による挑戦で、バス・トイレ、キッチンを独立してもつ個室という新たな水準が示されることになるような気がします。そういう点で、「2住戸一体型」という表現されるような発想以上の発想だと思います。 今後のマンションのあり方を変えてしまうようなすばらしい試みになることを期待しています。試行錯誤はあると思いますが、我が国のマンションが世界のトップに追いつき、世界をリードするようになった時、この試みがきっと振り返られると思います。 ■
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by gskay
| 2007-12-04 14:56
| マンション暮らし
どのような手続きで、藤沢の物件が部分解体に進んだのか詳しい事は知りません。行政の権限によって、代執行されたのかと想像していました。建物が違法でなくなればいいので、途中の階まで解体されているとのこと。途中まで解体された今の建物は、適法ということになるのかもしれませんが、使用を前提とした手続きはとられたのでしょうか?それとも、制限がかけられたままなのでしょうか?
中途半端な適法の建物についての権利がとても複雑になっていることと想像します。共同所有だけが残って、専有部分という概念は吹っ飛んでいることと思います。しかも、共同所有者には、売れ残りのヒューザー所有部分があるから厄介です。
読む事ができた二つの記事のうち、毎日新聞の記事では、ヒューザーの破産管財人と市との交渉を軸に報じています。どのような取り決めがあったかということが問題になるのだろうと思われますが、この物件についての個別的な事情といえると思います。 一方、時事通信は、別の視点です。解体費用を本来負担するのは、所有者であって、瑕疵担保責任を負う売り主ではないという判決の意義を報じているように思われます。 所有者を飛び越えて、売り主に費用を請求できるのであれば、全額が認められる判決になっていたことでしょう。しかし、判決で認められたのは、売れ残り分だけ。さらに、「市は(分譲を受けた)所有者に対して解体費用の返還を求めることができる」とのこと。 最終的には、売り主の責任を追及し、費用を請求することになるとはいえ、まず費用を負担すべきなのは所有者であるということを明らかにしているようです。 この判決を、関係者がどのような受け止め方をしているのかは、わかりません。 今後の手続きとしては、市が管財人に請求できる費用は、すでに破産手続きに入っている以上、破産債権として取り扱われ、配当されるのかもしれません。 もし、住民がヒューザーに請求できる権利も市が取得していると主張するなら、市がさらに争うかもしれません。 一方で、管財人としては、一部撤去にいたるプロセスで行われた同意をどのように考えるべきかという観点から、さらに争うかもしれません。 そのような個別の事情以上に、時事通信が伝えているポイントは重大です。 拙ブログの昔のエントリ(「揺れるマンション」顛末記 : 「最悪でも……」)に、「アパの住人です」さんから、2種間ほど前にコメントを頂戴しています。不注意で見落としていました。申し訳なく思っています。そのコメントに対する意見としては、この判決と、「施工や設計の責任〜最高裁」で取り上げた最高裁の判断をもとに考えるのが妥当だと思います。 アパの社長に対する感情も軽んじることはできませんが、まず、所有者の責務として、建物の適法性を確保し、それを公的に認定させることが第一だと思います。その費用を、アパが直接負担してくれるのが一番だと思いますが、たとえ、それが難航していても、所有者としての責務は免除されるわけではないと考えるべきだと思います。 そこで、まず、所有者としてとるべき措置をとり、その費用負担を売り主はもとより、施工、設計などの関係者に請求する手続きをとることになるのだと思います。今後、別の判断が出る可能性がありますが、この判決をみる限り、売り主が主体となって積極的に対応することは要求されていないと考えるべきだと思います。私が知る限りでは、対応については、所有者自身でとりかからなくてはいけないと考えるべきではないかと思います。 アパの責任も、その他の関係者の責任も重大ですが、それが、アパや関係者が主体となって積極的な対応をするべきだという根拠とはならないようです。道義的にみて、アパが主体となって積極的な対応を取る方が、社会的な責任を果たした企業ということで、長期的には評価されるように思います。アピールできるポイントにもなると思います。しかし、それをアパが選択しないというのであれば、それまでです。 もし、説得ができるなら説得した方がいいと思います。しかし、その説得が不調に終わるなら、時間や労力が浪費されるだけになってしまいかねません。感情的にも、一層つらいことになると思います。望みが薄いのであれば、仕方がないので、まず所有者としての対応を行うとともに、売り主や関係者に費用などを請求するという段取りになるのだと思います。満足できる形で和解できるかもしれませんが、訴訟にいたる覚悟は前提になると思います。 ■
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by gskay
| 2007-12-03 08:21
| 損害と回復
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耐震偽装発覚から、5年。建て替えが再開発事業としてすすめられています。
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