<   2008年 09月 ( 17 )   > この月の画像一覧
トレーサビリティ
農水省は、トレーサビリティ普及にむけた活動を行っています。牛肉を中心にはじまり、様々な品目に及んでいるようですが、もっぱら食品が対象のようです。

汚染により工業用の材料にしか使えないはずの米が、農水省から卸され、それが業者の手によって食品に化け、しかも様々な偽装表示をされて販売されていた事件は、トレーサビリティのシステムへの取り組みに問題がなかったどうかを点検する機会になると思います。

食品に限らず、目の前にある商品がどのように作られて販売されるようになったのかを追跡するシステムは、今のところは、研究開発途上ということになっているようです。しかし、情報ネットワークは充実しており、基盤となる技術の問題よりも、どのような規格が良いかということが壁になっているのではないかと思います。

規格を決定する作業は、民間任せで急速に進むこともあれば、そうでないこともあります。

関係する専門家同士が、共通の基礎的な知識を共有しているような領域では、民間任せの取り組みがいいように思います。例えば、建築や医療は、専門家が高等教育によって養成されており、技官をふくめ進歩にとりのこされがちな官僚が取り組むよりも、民間の専門家が自律的に取り組む方が良いように思われます。

これに対し、農水省が監督している農業や水産業、林業などは、高等教育による共通の基盤をもつ専門家もいるものの、様々な背景や考え方をもった人たちが従事しています。これに流通や加工、製造も加わえると、関係者が協力して取り組む上での共通基盤を見いだすのは困難です。これは、経産省の管轄に属する分野でも同様ではないかと思います。

このような様々な人たちが関わる領域では、専門家同士の自律的な取り組みよりも、公的な権限による取り組みの方が適当ではないかと思います。これは、利害にも関わる問題であり、「政治的」な取り組みが必要ではないかと思います。今の官僚は、小手先の制度改正には積極的ですが、抜本的な取り組みは及び腰のように思われます。そして、利権の確保は得意でも、利害の調整は苦手のように思われます。そのような点からも、きちんと国会で考えるべき問題として取り上げるべきだと思います。

ところで、「消費者庁」構想に、私は懐疑的です。経済の骨格が内需にシフトしようとすることに、水をさしかねいと懸念しています。消費を保護ずるのではなく、消費を規制してしまうおそれを感じています。

ただし、消費者の利益を口実に、縦割り行政を一元化することには賛成です。消費そのものに介入しようとするのではなく、製造や流通の過程の透明性を高めることが、現状を打開するために必要です。

幸い、情報技術のインフラは、かなり整備されています。そのインフラを活用する方向に進んで欲しいと思います。

今回の「事故米」の事件では、工業用にしか使えない米が、農水省から業者に卸されました。卸されるプロセスに何があったのかは知りません。ただ、農水省は、利用に制限がある特別な配慮が必要な米だと知っていながら、追跡を怠りました。同時に、業者も追跡をかわすためであるかのような複雑な仕組みを構築していました。

工業用の材料、農産物、食品という区分の隙間をつく形で行われた不正で、今日の行政制度の弱点を表しているように思います。省庁の垣根や、品目の区分をこえた一元的なトレーサビリティのシステムを構築する必要があると思います。

それはそうと、なぜ、汚染されているような米を輸入しているのかということも話題になっているようですが、工業用の材料としての輸入であれば、経済性からみた妥当性がないわけではないのでしょう。その取り扱いは大問題ですが……。

一方、世界的な穀物確保の競争が遠からず起こるとされています。それに備え、日本は、海外に米を提供するための準備をしておかなくてはいけないと思います。一歩間違えると、米が海外に流出し、国内には残らないというような状況も起こりかねません。

様々なことを考えなくてはいけない問題ですが、問題意識も取り組みも、適当ではないと感じます。
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by gskay | 2008-09-17 01:19 | 安全と安心
恐慌?
会計をめぐって木村建設が咎められ、ライブドアや村上ファンドが槍玉にあげられました。大騒ぎにはなりましたが、その影響は小さいばかりか、問題の本質も、会計や法令の解釈の相違というレベルの問題だったと思います。

これに対し、アメリカの大手証券会社の破綻は、規模が大きいだけでなく、そもそもの仕組み自体に問題があったのではないかと思われる出来事です。

現在の仕組みは、「信用」とか、「流動性」というキーワードで、高度な金融テクニックを発展させてきました。それは、法的に認められるとともに、制限が加えられ、その制限の範囲で、ギリギリまで「信用」や「流動性」を活用すると資産が生まれるという仕組みのように思われます。

この仕組みでも、元になる資金は必要で、ゼロからは何も生まれない事になっています。その元になる資金が、他で使われるようになってしまったことが、今回の金融危機の問題の根底にあるような気がします。

これまでは、金あまりでした。いくら余っていても使い道がなく、眠らせておくしかない中で、ファンドなど金融テクニックや会計テクニックを駆使したビジネスが資金を集めて業績を上げてきました。

しかし、様々な理由で金あまりでなくなっているのが今の状況ではないかと思います。ひとつは、物価の上昇で資金のあまりが減っているのではないかと思います。また、一方で、多くの企業で、本来の活動自体が新しい局面に入ったことで、より多くの資金を必要としていて、ファンドなどに資金を使っている場合ではなくなっていたり、あるいは投資先としてファンドよりも有利になっているのではないかと思います。

ファンドは、金あまりである一方で、企業の経済活動が低調な時には、そこに資金が集まり「続ける」ことで儲かるのであり、そうでなければ、良い業績はあげられません。

もし、本来使われるべきところで使われていなかった資金が、本来の形で使われるようになったのだとしたら、「恐慌」を恐れる必要はないように思います。

また、かつて批判の矢面にたった村上ファンドは、絶妙のタイミングで逃げ出したように思われます。資金が本来使われるところで使われ始めると、村上ファンドのようなファンドは意義を失います。上り調子の頂点の直前で、望んでいたわけではないかもしれなせんが、見事に勝ち抜けしたように思えます。下り坂で転がらずに済ますことに成功しています。

ところで、建築業界の「官製不況」。これは、確かに法律改正の悪影響もありますが、同時に、たまたまサブプライムローン問題に影響されて我が国の金融機関の融資の体力が低下している時期に重なっていたことで、悪化しているように思います。

建築における公的な手続きが大きく変更になったことによって、建築のビジネスの資金の流れるスピードが変わったにも関わらず、金融機関が対応できなかったことが、建築業界を苦しめているように思います。

建築業界は、金融機関からの資金供給を前提にしたビジネスモデルに依存しすぎていたことを反省しなくてはならないのかもしれません。

そもそも、金融自体は、資金確保や資金運用とともに、決済を行う上で便利なサービスのはずです。

そのうち、決済の機能は、金融機関の業績が企業の活動の足かせになってはならないものです。ただ、金融機関の本来の役目は、資金供給や資金運用であるように思います。このため、決済だけのつもりでも、いつの間にか資金を金融機関によって縛られてしまうことが、このシステムの問題点です。

「信用」とか、「流動性」ということも含め、金融システムを通じて供給されるサービスは、副次的な存在であったのに、それが、決済と強く結びついた資金供給を通じて、いつ間にか中心に来てしまっています。このシステムには大きなメリットがありますが、本来の機能以上に、経済や経営の中心に来てしまっていることが問題なのだと思います。

決済については、今更、現金を決済の手段の主役に戻すのはスジが悪いと思いますが、現在の金融機関とは距離を置いた決済の仕組みを構築すれば、「信用」の収縮や、「流動性」の危機にも影響を受けずに済むのではないかと思います。「信用」や「流動性」が、都合の良い効果を発揮している時だけ、それを活用し、そうでなくなったときに、悪影響を受けずに済む方法が必要です。

アメリカの金融危機が次の段階に入り、日本の金融機関がその影響を回避したり、克服したりすることは、日本の企業の資金供給にとって大切なことです。同時に、建築業界をはじめとした企業は、金融機関に決済の機能以上に、資金確保の役割を期待しすぎている体質から抜け出す必要があるように思います。
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by gskay | 2008-09-16 03:49 | いろいろ
総裁選挙後の解散総選挙を避けるには?
解散総選挙を望んでいる人の方が多いと思いますが、解散総選挙の可能性は高いものの、まだ決まったわけではありません。解散総選挙が行われない可能性は残っています。

衆参のねじれの解消というのは、野党が解散を要求する上では意味があります。しかし、衆議院の3分の2を確保している与党にとっては、政権が行き詰まることはなく、急いで解散総選挙をしなくてはいけない理由は別です。

その理由については、連立与党の公明党の都議会選挙への取り組みの都合だと言われているようです。公明党の存在は、今の自民党にとっては重要です。小選挙区では、公明党の選挙協力なしでは当選が難しい自民党議員が大勢います。

進行中の総裁選挙は、公明党の都合にあわせた総選挙を前提とした選挙対策のための総裁を選出する選挙になります。問題は、この選挙で選出された総裁が、総理大臣に就任できるかどうかではないかと思います。

自民党所属の衆議院議員は、総裁選挙の余勢で総選挙を乗り切れるなどと本気で思っているでしょうか?いくら公明党の選挙協力があっても、厳しいと考えているのではないかと思います。

一方で、公明党の方も、政権のキャスティングボードを握っているとはいえ、連立が長らく固定しているため、キャステティングボードを握っているという実感がなくなるとともに、独自の立場を貫くことが難しくなりつつあるのではないかと思います。特色を失うと同時に、支持も失われていくことになりかねず、危機に瀕しているように思われます。自民党と一体になって凋落することも望まないでしょう。

自民党と公明党の選挙協力が、思ったように効果を発揮しない可能性が高いとしたら、落選の危機に直面する自民党議員にとっては、少しでも解散を遅らせて流れが変わるのを待つのが有利です。

こうしたことを考慮に入れると、公明党に後押しされた新しい自民党総裁が選ばれたからと言って、直ちに総理大臣に就任することができ、解散を行うことができるとはいえないように思います。

解散総選挙を望まない自民党議員が、総裁選挙から首相指名選挙までの間に離反する可能性があると思います。

もともと、主義主張の隔たりもあるので、新総裁を担がない勢力が独立しても不思議ではありません。

6割の国会議員が、すでに最有力な幹事長を支持していて、総裁選出は確実だとされています。しかし、残りの4割は、主義主張に隔たりがあるか、解散総選挙を都合が悪いと考えているとみることができるように思います。

この4割が、臨時国会の冒頭の首相指名選挙で、どのような投票行動をとるのかがポイントだと思います。

政策的には、野党第一党との交渉や妥協の余地があり、選挙を経ずに政権交代となる可能性があると思います。この場合、新総裁を担がない勢力は、次の選挙で民主党の候補と闘わずに済む可能性もあり、当選の可能性は、自民党公認で出馬するよりも高まります。

自民党の分裂にともなう政権交代によって、この秋の解散総選挙を回避し、新政権の力を見極めたところで、来秋に任期満了で総選挙を行うのが、おそらく、足下のおぼつかない議員にとっては、好ましい選択肢になるのではないかと思います。

衆参のねじれは解決です。民意が反映されていないという批判については、昨年の参議院選挙の結果を反映していると主張することが可能です。そして、どうせ、衆議院の任期は1年をきっているので、次の通常国会の後には、選挙は来ます。そこで民意を確認しても遅くはありません。

現在、総裁選挙を通し、自民党勢は、ぼろくそに民主党をけなしていますが、皆がそろって本気で対決しようと考えているわけではないと思います。新総裁を担がない勢力にとっては、民主党との交渉や妥協を引き出すための布石である可能性があります。
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by gskay | 2008-09-14 08:53 | 政治と役所と業界
教員採用の取り消しに疑問
採用試験で成績の改ざんが簡単に出来るシステムということは、取り消し手続きでも改ざんが簡単にできてしまうということです。教育委員会のシステムが抜本的に見直された訳でもなく、資料の管理もずさんな組織の決定なので、採用取り消しという決定には疑問を感じています。


<大分教員汚職>処分教諭「申し訳ない」 記者の子の担任(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


9月13日20時23分配信 毎日新聞

 大分県の教員採用汚職事件で、今春採用された小中高校の教員のうち、県教委が不正合格と認定して退職や取り消し処分となった20人(既に退職した1人を除く)のうち1人は、佐伯市内の小学校に通う私の次男の担任だった。「申し訳ありません。ただ、信じてほしい。私は(不正を)一切知らない」。学校での保護者会でそう声を絞り出した担任を見て、事件の引き起こした罪深さを改めて感じた。【佐伯通信部・古田健治】

 次男が通う小学校では6日夜、学級の緊急保護者会があり、私も出席した。県教委職員、校長、そして担任の20代男性の姿もあった。担任は精神的に参り、疲れ切った様子で、終始うつむいていた。

 「このような事態になり申し訳ありません。ただ、信じてほしい。私は一切知らない」

 父親は大工。母親は祖父母の介護をしているという。「(周囲に)教育関係者はいない。私に身に覚えはないし、家族にも親類にもない」

 8月29日夕に校長から呼び出しを受け「不正」の話を聞いた。「何がなんだか、どうなったのか」。頭が混乱した。「小さいころからなりたいと思っていた天職を奪われ、死ぬしかない」と思った。翌日、父母に会った。「学校に迷惑かけたらいかんぞ」。父母は泣きながら叫んだ。2人に手を握られたまま、翌朝を迎えたという。

 一方、保護者会で県教委職員は「(採用試験の点数を改ざんした)県教委事務局職員に100%瑕疵(かし)がある。人生をもてあそんだ教育行政を反省している」と話した。ならば、なぜ今回の処分となったのか。

 この職員は「誰がどの段階で口利きしたかのルートは解明されていないが、試験の結果に公平、公正さが欠け、本来通っていた者が落ち、落ちていた者が受かったならば、口利きルートにかかわらず無効になる」と説明した。一方、ルートの解明は、4日始まった事件の公判でも焦点の一つとなっている。担任と県教委の言い分を聞いていて、私には「県教委の説明は筋が通っていない」と思えた。

 担任は「こんな中途半端なところで子どもたちと離れるのが悔しい」と、学年末まで臨時講師として残る道を選んだ。退職願を出さず、採用取り消し処分となったのは、県教委へのせめてもの「反抗」の意思表示だろう。

 保護者会では「普段通り(教壇に)立てるか自信がない」と話していた担任。だが、取り消し処分の辞令交付があった8日の授業前には、息子の学級で「こんなことに巻き込ませてごめんなさい」とわびた上、こう話したという。「みんなが先生として迎えてくれるのなら頑張る」。帰宅後「先生は大きな声で、いつも通り元気だった」と言った次男の言葉が救いだ。

 20人もの「犠牲者」を出した汚職事件。事件の舞台となった佐伯市では起訴や懲戒免職で一時5人の校長や教頭が不在となった。学校現場では当分の間、本人と子どもたち、そして保護者らの間で、ぎくしゃくとした状態が続くかもしれない。現場を混乱に陥れた県教委の罪は深い。


取り消しの根拠となる証拠の管理が信用できません。

データのセキュリティーが不十分で、ログもなければ、アクセス制限もいい加減。持ち出しもし放題。

教育委員会の中の不正の証拠にはなると思いますが、そのデータが、不正に採用されたとされる教員の洗い出しの証拠にはできないと思います。

教員については、少なくとも、教員免許は持っている人たちなので、1学期の間に問題を起こしていないようなら、経過をみるという措置や、研修を増やして能力の向上を図るという措置でもよかったように思います。

デタラメなシステムしか持っていない以上、公正な採用試験をしていなかった大分県の教育委員会が、公正な取り消し処分を行っていると考えることはできません。


大分県教委の教員採用汚職:県議会文教警察委、調査報告書を議論 /大分(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


9月9日17時1分配信 毎日新聞

 ◇不正合格取り消しなど
 教員採用汚職事件について集中的に審議する県議会文教警察委員会が8日あった。08年度の不正合格者21人の採用取り消し問題や、県教委の改革プロジェクトチーム(PT)がまとめた調査報告書について議論した。
 不正合格者の退職、取り消し処分について「解雇権の乱用。裁かれるのは県教委の方だ」(久原和弘県議)、「21人の救済策は」(賀来和紘県議)などの意見が出た。小矢文則教育長は「(21人に)法的なあやまちなどはなく、合格決定自体に問題があった」などと答えた。07、08年度に不正のあおりで落とされた救済対象者への補償などは「今後考えないといけない」とした。
 PTの調査報告に関連しては、不正合格者を生む根本となった「口利き元」の調査が不十分との批判も続出した。県教委側は「不正にどう結びついたか確認できなかった」と報告書の内容をなぞるだけの答弁に終始。また、合否の事前連絡について尋ねられた小矢教育長、小野二生・教育審議監は「PTに証言し、報道にも答えた」と内容にすら言及しなかった。
 一方、小矢教育長は報告書に沿った採用試験や県教委組織の改革のスケジュールを月内にまとめる意向を示した。【小畑英介】

9月9日朝刊



引用の記事での議論では、データ管理の問題が取り上げられていません。「救済策」以前に、取り消し手続きの妥当性や、その根拠となるデータの信頼性が問題になると思います。

また、汚職を糾弾することと、採用の取り消しとは分けて考えなくてはいけないと思います。それが、ゴチャゴチャのままだと感じます。

採用の取り消しの正当性が、少なくとも証拠の面からは、あやしいままだと思います。取り消しを受けた教員が処分の撤回を求めて訴えた場合、教育委員会側がもっている証拠には、根本的な信頼性が足りないと思います。

騒ぎの大きさに混乱して、暴走してしまった、拙速な対応だと思います。


教員採用試験:データ管理を県人事委に依頼 県教委が改善策 /兵庫(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


9月10日16時1分配信 毎日新聞

 大分県の教員採用試験を巡る汚職事件を受け、県教委は9日、県教委外の県組織の県人事委に成績などの合否にかかわるデータ管理を依頼するなど、より公正な試験にするための改善策を発表した。
 改善策では、県人事委職員が、県教委職員が入力した試験点数などを確認するほか、合格判定基準と合格者、不合格者の成績を照らし合わせて合否の確認などもする。
 非公表だった1次、2次試験の面接の「積極性」「専門性」などの評定項目とA〜Eの5段階評価を2010年度の教員採用試験の募集要項から公表する予定。また、個人情報を理由に1年としていた答案用紙や面接結果の保存期間を公文書と同じ3年に延長する。
 県教委教職員課は「公平性、透明性の高い、県民の信頼を得る開かれた採用試験にしたい」としている。【岩嶋悟】
〔神戸版〕

9月10日朝刊

今後の対応としては、透明性の確保の問題が重視されているようです。そこに加えて、データ管理の見直しが必須です。

日本の公的機関の多くは、データ管理についての能力が不足していると思います。それが、不正や汚職の温床になっていると思います。データのセキュリティーの確保には費用がかかります。なるべく集約して取り組み、レベルを向上させる必要があると思います。兵庫県の改善策は妥当だと思います。
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by gskay | 2008-09-14 01:23 | いろいろ
建築確認番号偽造の責任
広島の積水ハウスの事件は、建築確認手続きを再考させられる事件だと思います。

耐震偽装は、少なくとも建築確認という手続き自体をないがしろにした訳ではなく、建築確認や構造設計の内容にかかわる問題でした。

広島の事件は、建築確認を申請しなかったどころか、確認番号を偽造していたという事件です。耐震偽装で問題になったような事柄とは全く異なっています。

私は、建築確認のあり方や技術的な限界に疑問を感じていて、抜本的に見直すべきところがたくさんあると思っています。しかし、現行の規則で建築を行う以上、法律を無視することは許せません。まして、確認番号を偽造するなど、言語道断だと思います。

建築には、公的な資格や公的な検査が要求されます。建物は、たとえ私的に利用される私有物であっても、周辺への影響があり、公共的な配慮を怠ってはなりません。工事に携わる事業者は、営利性だけで事業を行っているわけではなく、公共に影響を及ぼす事業を行っているということを忘れてはならないと思います。


積水ハウスに広島市が工事停止命令、建築確認申請せず|ケンプラッツ


2008/09/08
建築確認   個人住宅・集合住宅   建て主  

 積水ハウスが、建築確認を申請しないまま広島市安佐南区でアパートの建設工事を進め、広島市から工事停止命令を受けていたことがわかった。

 アパートは2棟あり、それぞれが軽量鉄骨2階建て、約260m2、4戸。積水ハウス広島東支店が個人の施主から仕事を受託した。ところが、設計を担当した同社の30歳代半ばの社員が確認申請を出さずに、架空の確認番号を現場に掲示して2008年5月、工事に着手した。

 この社員は、架空の確認番号と確認取得日などを社内のコンピューターに入力していた。同社のルールでは、ほかの社員が確認済み証などの書類と照合することになっていたが、守られていなかった。

 事件を起こした積水ハウスは事態を重く見て、完成間近だった建物を解体しているところだ。正規の確認申請手続きを行って、同じ設計でアパートを造り直す。9月4日には建築確認が下りている。

 積水ハウス広報部では、「許可を得ていない建物だったので、施主の了解を得ていったん取り壊すことにした。担当者が確認申請をしなかった理由は調査中だ。今後は、社内のルールを徹底したい」と話している。

 広島市によると、7月に付近で道路関係の調査をしていた安佐南区の職員によって不備が発覚した。市と広島県は8月に合同で、積水ハウスの広島東支店に立ち入り検査を実施。会社ぐるみの偽装ではないと判断した。

瀬川 滋[ケンプラッツ]


私は、この事件では、問題の社員だけでなく、企業自体を処罰の対象にするべきだと思います。たとえ、会社ぐるみの偽装でなかったとしても、建築という事業に携わる企業には、その責任があると考えるからです。

ところで、建物を解体してつくり直していることに疑問を感じます。建築主への誠意にはなるかもしれませんが、公共的には何の免罪符にもならないと思います。解体してつくり直すことは、資源の無駄であり、避けるべきだったと思います。工事の期間も長くなり、周辺環境や交通への悪影響も長引くことになると思います。

どうやら、同じものをつくるようですが、だったら、建物そのものが遵法であるということを明らかにするための特定行政庁の配慮があれば良かったのではないかと思います。

本末が転倒しています。手続きの問題と、本来の目的である性能などの規格への適合の問題とでは、そのいずれがより重要であるかを忘れています。

一方で、建物を遵法にすることとは別に、関係者には厳しい処分を行うべきだと思います。とりわけ企業に対しては、厳しい処分が必要だと思います。

建築関係では、関係者が複雑で入り組んだ関係をつくっています。その責任や役割は、曖昧な部分が少なくありません。問題があったとしても、誰が責任をとるべきなのか、誰を処分するべきなのか、よくわかりません。それを整理する必要があると思います。その整理については、建築基本法に期待しています。

建築という公共的影響の強い事業にかかわる企業については、このような姑息な対応で責任を有耶無耶にすることを許すべきではないと思います。
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by gskay | 2008-09-11 23:38 | 揺れる システム
ねじれの行方
衆議院と参議院で与野党が逆転しているというねじれの状況をいかに解消するかが問題なのは確かだと思います。しかし、その解決には政権交代しかないと考えるのは早計のように思います。今の政党を固定して考えさえしなければ、政党の再編によって、ねじれを解消することができます。

現在の二大政党である自民党も民主党も、どちらの党にも様々な人たちが集まっていて、幅が大きすぎて、なかなか明確な政策を打ち出せません。一方で、同じような考え方や立場なのに、二つの別の党に分かれている場合があります。現状では、党という枠組みと、政治信条や政策などがうまく噛み合っていません。

そこで、衆参のねじれもあり、自民・民主の政治家レベルの主義主張もねじれているので、政党を再編してしまうのがすっきりすると思います。再編によって、有権者も選択をしやすくなると思います。

このままの自民党と民主党では、主張がはっきりすることは期待できないと思います。こういう政党を背景として選挙をする限り、政局の反映だったり、人気やイメージによって決まる選挙になってしまいます。選挙をしても、主義主張もなければ、政治的な問題への意思表明にもつながりません。

現在、衆議院を解散して総選挙をすることで、政権交代の是非に決着をつけるべきだという意見があります。これは、与党では、総裁選の話題性を利用して一か八かの政権維持のための勝負を仕掛け、野党では、自民党の不人気を政権交代につなげたいと考えているのだと思います。

長らく政権交代が行われていないため、政権をかけた熾烈な選挙になると思いますが、それで白黒をつけるだけではいけないように思います。むしろ、この二つの党にそれぞれが異質なものを抱えて成り立っているという状況を解消することが大切だと思います。

もし、与党が勝利したら、ねじれは続きます。郵政解散の時のように、直近の衆議院選挙の結果で、参議院に考え方の変更をせまることはできるかもしれませんが、あの時は、与党の中で割れていた点が問題であったので、今回は、同じようにはならないと思います。

野党が勝利したら、政権交代です。これで、今の選挙制度を作った時からの宿願がかなったことになります。ただし、民主党は、自民党以上に幅が広く人が集まっていて、主義主張がバラバラです。あまりにバラバラすぎるから、締め付けないとまとまらないという状況にあるようにみえ、まとまりが心配です。

いずれにせよ、今ある政権の受け皿は、いずれの党も、党内の主義や主張に幅がありすぎて、このままの政党の構成では、総選挙を行ったところで今とかわらず、結局、明確な政策を打ち出すことはできないと思います。

今、必要なのは、政党の再編です。

自民党と民主党を混ぜてから、バラバラにすることは一つの方法であったかもしれません。昨年秋の大連立構想は、そういう再編の第一幕になる可能性があったように思います。そういう仕掛けだったのかもしれません。しかし、あいにく、今更、そうなることはないと思います。

一方で、郵政問題をめぐって、自民党が割れて、国民新党などができたように、民主党からも改革クラブができました。まだまだ、どちらの党もグチャグチャです。深刻で譲れない問題をきっかけとして、いずれの党も分裂してもおかしくない状況があると思います。

今回の首相の辞任から、総裁選挙にいたるプロセスでは、自民党内で真剣な議論が行われ、分裂する方向に進む可能性があると思います。党内にある主義主張や立場の隔たりだけが問題ではありません。もはや、公明党を頼りにしても、小選挙区での勝ち目がないとしたら、選挙協力はもとより、自民党のいう党を作っていることにも意味がないという目先の問題もあります。

そうした分裂が引き金となって,両党ともに分裂し、再編が行われ、そのうえで選挙に至るのが、私は望ましいと考えています。

現在の自民党と民主党に限って言えば、多くの選挙民にとって、どちらも、同じようであり、一長一短。政党の再編が行われない限り、どっちみち、選びようがありません。

衆参のねじれという表面的な出来事には、政党と政党に属する人にみられる主義主張のねじれという背景があり、それが解消されなければならないと思います。

今は、昨年秋以来の、実現のチャンスだと思います。

(ただ、何となく、ズルズルと進んで、大騒ぎだけして、日本の足踏みが続いてしまいそうな気がします。たとえズルズルと総選挙になったとしても、せめて、その後に、政界が再編されることを期待します。難しいとは思いますが……。)
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by gskay | 2008-09-07 10:48 | 政治と役所と業界
採用試験のありかた
大分県の教員の採用をめぐる不正で、今年度採用の教員の採用を取り消すのは、おそらく試用中であると思われるので、法的には無理はないと思います。それ以前にさかのぼるのは、私は、適切ではないと思います。

ただ、取り消しはして欲しくはありませんでした。不合格になった人への救済だけで充分だったと思います。

加えて、時期も悪いと思います。他の思惑などがあるのであれば仕方がありませんが、教育機関の「本来」の業務を忘れた愚かな時期の決断だと思います。

「本来あってはならない」という常套句で、様々な問題に過剰な対応をしているように思いますが、多くが「本来」の業務を忘れた無責任な対応であると思います。「本来あってはならない」が、いきすぎた対応の免罪符になっているように思います。

採用のシステムが抜本的に見直されなくてはいけないことは確かですが、今回の採用の不正行為が、教育現場でどのような悪い影響をあたえているかという「本来」の問題を軽視した軽率で無責任な決定だと思います。

少なくとも、教諭の免許は持っているはずです。おそらく現場で問題を起こすようなことにはなっていなかったのではないかと思います。

問題は、現場での能力とは無関係な、陳腐化した採用システムにあります。

採用試験の「本来」の成績が良かろうと悪かろうと、採用後の職務には関係ないとしたら、無意味な採用試験をしていることになります。

採用試験の成績が、教師としての素養に関係ないからこそ、このような不正をおこなっても平気だったのだと思います。採用試験の成績が悪い人が、良い教師になれないことが明らかであるなら、このような不正は成り立ちません。採用で不正があった教師が、ダメな教師になることが明らかであるなら、もっと別の形で問題になっていただろうと思います。

また、採用の手続きの問題と、解雇や免職などの手続きは別の問題とするべきだったと思います。それを明確にしないと、採用後に行われた業務の正当性さえ疑問視されかねません。この事件の場合、不正に採用されたとされる教諭による授業はなかったことになるのでしょうか?

免許制度も背景にあり、業務に差し支えていないのであれば、もっと別の対応ができたはずだと思います。

私は、もっと限定的な措置が、もっと影響が少ない形で行われるのが望ましいと思っていました。悪い影響を残し、その後始末にも負担が生じるという愚かな対応だと思います。

また、この取り消しの措置についての透明性にも疑問で、恣意的でなかったという保証がありません。この取り消しでさえ、恣意的であったと疑っています。あれだけのことをしでかした組織が、抜本的な反省も済んでいないのに、恣意性を排し、透明性を確保して対応していると信じるのは無理です。

波及することになることを恐れます。恐ろしい混乱がおこりかねないと思います。地方の役所での出来事では済まされないと思います。まともに教師としての質を判定できない試験を放置していた割には、いくら不正があるといっても、現場を混乱させるだけの過剰すぎる対応です。誰も,この対応を止めようとはしなかったのでしょうか?考え方や姿勢に問題があると思います。
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by gskay | 2008-09-01 03:04 | いろいろ